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藤原顕盛
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藤原 顕盛(ふじわら の あきもり)は、平安時代後期の貴族。藤原北家末茂流、権中納言・藤原長実の長男。官位は正四位下・尾張守。
経歴
白河院政期後期に兵衛佐や越前守を務め、永久2年(1114年)従五位上に叙せられる。その後も父の藤原長実とともに白河法皇の近臣を務めながら、修理大夫や伯耆守・尾張守などの国司を歴任した。
大治4年(1129年)白河法皇が没すると、院政を継いだ鳥羽上皇は長実一族の排除に乗り出し、顕盛は修理大夫を解任されてしまう。長承2年(1133年)8月に長実が没すると、後を追うように顕盛も翌長承3年(1134年)正月25日に卒去した。享年35。最終官位は尾張守正四位下。
官歴
系譜
『尊卑分脈』による。
脚注
参考文献
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