トップQs
タイムライン
チャット
視点

藤原長輔

ウィキペディアから

Remove ads

藤原 長輔(ふじわら の ながすけ)は、平安時代後期の公卿藤原北家末茂流、権中納言・贈太政大臣藤原長実の三男。官位従三位右京大夫

概要 凡例藤原長輔, 時代 ...

経歴

永久3年(1115年)12歳で従五位下甲斐守に叙任。元永3年(1120年左兵衛佐丹後守保安3年(1122年)従五位上、天治3年(1126年従四位上

長承3年(1134年正四位下に昇叙されるが、異母妹・得子鳥羽上皇の寵愛を受けたことに怒った崇徳天皇によって昇殿を止められる。保延6年(1140年)昇殿を許される。同7年(1141年右馬頭に任ぜられるが、同年崇徳天皇から近衛天皇(得子の子)への譲位に伴い昇殿を止められる。

妹・得子の子である近衛天皇が即位した後も、白河法皇の側近であった長実の子らは鳥羽上皇から重んじられずに昇進が停滞し、得子に登用された甥の藤原俊盛(長兄・顕盛の遺児)に官位を追い越される程であった[1]

久安4年(1148年)右京大夫、仁平3年(1153年)再び昇殿を許される、同年備後介、同4年(1154年内蔵頭、同年従三位。

久寿3年(1156年)飲水病(糖尿病)により死去。

Remove ads

系譜

脚注

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads