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藤懸末松

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藤懸 末松(ふじがけ すえまつ、1884年明治17年〉6月24日[1] - 1942年昭和17年〉8月15日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。

概要 藤懸 末松, 生誕 ...

経歴

石川県出身[1]陸軍士官学校第18期卒業[1]1923年(大正12年)8月に陸軍歩兵少佐に進級し、陸軍兵器本廠附の任にあった[2]1926年(大正15年)8月に近衛歩兵第2連隊附に転じ[3]1927年(昭和2年)1月に近衛歩兵第2連隊大隊長に就任した[4]1928年(昭和3年)8月、陸軍歩兵中佐進級と同時に近衛歩兵第2連隊附に発令され、専修大学に配属となり[5]1932年(昭和7年)8月に福知山連隊区司令部部員に転じた[6]

1934年(昭和9年)8月1日陸軍歩兵大佐進級と同時に近衛師団司令部附となり[7]拓殖大学に配属された[7]1936年(昭和11年)8月に名古屋連隊区司令官に転補され[1]1938年(昭和13年)3月1日に陸軍少将進級と同時に待命となり[1][7]3月25日に予備役に編入された[1]

予備役編入後の同年8月には興亜青年勤労奉仕隊総司令に就任し、満洲国での奉仕隊の奉仕作業を視察した[8]1939年(昭和14年)には大日本国防婦人会理事に[9]1941年(昭和16年)4月には大政翼賛会東亜局連絡部長に[10]1942年(昭和17年)には大日本興亜同盟常務理事にそれぞれ就任している[11]

1939年(昭和14年)7月時点で東部防衛司令部附を発令され[12]、1941年(昭和16年)までその任にあった[13]

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親族

  • 二女:東子 - 松島慶三海軍大佐夫人[13]
  • 三女:静子 - 森田利勝陸軍大佐夫人[13]
  • 四女:都 - 村田敏夫海軍大尉夫人[13]

脚注

参考文献

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