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蛇の女王エグレ
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蛇の女王エグレ(「蛇女王エグレ」[1]、「蛇の女王アーグレ」[2]、リトアニア語: Eglė žalčių karalienė)はリトアニアの伝承。

物語の概要
要約
視点
昔、ある老人老婆には12人の息子と3人の娘がいた。三人姉妹が湖[注 1]で沐浴している間に、蛇(ヨーロッパヤマカガシ)[4]がやってきて、エグレという末娘が脱ぎ捨ててあった上着の袖にとぐろを巻き、「服を返してほしければ結婚してくれ」と無理難題をふっかけ、エグレは約束してしまった[5][6][1]。
エグレの両親は、娘を蛇にやるのを心中では渋ったが、蛇たちの結婚行列が大挙して迎えにきたのでしかたなく引き渡して泣いていた[5][7]。異本では両親が替え玉として、ガチョウを用意し[8][9]、あるいはさらにヒツジ[10]、牛、長女[注 2]を袋に入れてわからないように蛇たちに差し出すが[11][12]、止まり木のカッコウ鳥のやつが偽物だとばらしてしまい、ついに激怒した蛇たちが本物を差し出さないと、干ばつと飢饉をもたらし家も焼き払うと脅すので応じたのであった[11][12]。
ところが海辺までつれてこられたエグレを迎えたのは美男子であり、我こそはあの蛇である、と正体を明かす。そして近くの島 から地下海底につながる道を通り、海底宮殿で豊かな暮らしをおくることになった」。9年[5](5年[12])の歳月が経ち、蛇王との間に3人の息子と1人の娘も儲けた。故郷のことは忘れかけていたが、ある日長男に祖父祖母のことを問われて里心がつき、子どもたちを連れて帰郷尾したいと蛇王に頼み込んだ[5]。
3つの試練
蛇の王は帰郷を申し出たアーグレに対して実現困難な3つの仕事を帰郷の条件としたが、魔女[注 3])[注 4]の助力で達成した[16]。
3つの課業とは巻いても巻いても尽きることない真綿の一房か[注 5]ひと巻き[18] を絹糸に紡ぎ終えること、鉄靴[注 6]を履きつぶすこと、容器を奪われても焼き菓子(ケーキ[19])[注 7]を焼くことだった[21][22][19]。
絹の塊にはあきらかに魔法がかけられていたが[注 8]、焼き窯にいれると「礎の者」(ヒキガエル)が出てきて[注 9]、絹を糸にして出してくれたので紡ぐことができた。鉄靴は野鍛冶に焼なましを頼んだ。焼き菓子は、ざるに酵母種[注 10] [21]を敷いて水を汲める容器代わりとした[22]。
帰郷と結末
蛇王は迎えに行くときのために、自分を呼び出す呪文(後述)を教え、一時的に地上に戻ることを許可した[1]。
地上に戻ったエグレと孫たちを見た親たちは、もう海底宮殿には帰らせたくないと思うようになった。そして蛇王を呼ぶ呪文を聞きだそうと子供たちを痛めつけた。息子らは耐えたが、娘はこらえきれずにそれを喋ってしまった
- ジルヴィナス、ジルヴィナス
- 生きておるなら、海を乳で泡立たせておくれ
- 死んでおるなら、海を血で泡立たせておくれ[24]
騙されて海岸に呼び出された蛇王ジルヴィナスを、エグレの12の兄たちは大鎌でめった切りにしてしまった。知らされずにいたエグレが呪文を唱えると、海が地色になり、亡き夫の声がして真相が告げられた。エグレが宣言すると、3人の息子はそれぞれナラ、トネリコ、白樺に変化し、娘はわずかな風に震えるヤマナラシに変化してしまった。エグレ自身もトウヒの木に変化した[23][3][6][注 11][25]。
主人公エグレや子供たちが、変じた樹木の種類は、彼らの名前(のリトアニア語の意味)そのままである。すなわち、エグレ (Eglė) は針葉樹の「トウヒ」の意で、息子らの名は Ąžuolas「オーク」・「コナラ属」、 Beržas「カバノキ属」、 Uosis「トネリコ属」、娘の名は Drebulė 「ポプラ属ヤマナラシ」の意であった[3]。
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出版歴
著作物としては、M. Jasevičiaus/Jasevičius が1837年、『Biruta』誌で発表したのが最初である[26]。のちリトアニアの詩人サロメーヤ・ネリスが1940年に「Eglė žalčių karalienė」として発表したものが有名である[3][注 12]。
またバレエではエドゥアルダス・バルスィース (Eduardas Balsys)[注 13]が1960年に「Eglė žalčių karalienė」として発表している[3]。いずれも題名は「蛇の女王エグレ」である。
話型
アールネ・トンプソン・ウター(ATU)による話型分類は425M「蛇の婿」[注 14](旧題「沐浴する娘の衣服を奪う」[注 15])であり[28][30]、ブロニスラヴァ・ケルベリティテによればリトアニアの類話(ヴァリアント)は120を数える[32][33]。
異本
この伝承は1880年にJ. Jasialaitisによって記録されたが、口述者は不明とされている。リトアニアの特に東部と南部に同様の民話が多数伝えられ、80余[34](新たな研究では上述の120余[32])が記録されている。国民の多くに親しまれ、文学や音楽の素材として繰り返し取り上げられてきた[34]。
異本では、変化する木の種類が違っていたり[35]、木ではなく鳥(特に鳥)へ変身するものがある[35]。鳥への変身譚は、リトアニア東部で採集されるとも[36]、隣国ラトヴィアにみられる傾向にあるともされ[22]、そもそも東スラヴに発祥するのではないかとの見解もある[37]。
脚注
参考文献
関連項目
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