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褚玉璞

中華民国の軍人 ウィキペディアから

褚玉璞
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玉璞(ちょ ぎょくはく)は中華民国軍人北京政府奉天派に属し、特に山東省を拠点とした張宗昌の配下として活動した。薀山

概要 褚玉璞, プロフィール ...

事跡

青年期はは緑林の徒として活動した。最初は安徽都督柏文尉の軍に加えられている。しかし、1913年民国2年)に張宗昌配下に転じ、玉璞は営長となる。1917年(民国6年)、張が馮国璋から第6混成旅旅長に任命されると、はやはり営長として動員された。同年に張が暫編陸軍第1師師長となると、は団長に昇進している。

1921年(民国10年)に張宗昌が江西省で軍を喪失しても、玉璞はこれに従い、ともに奉天派に加わった。以後、第3混成旅第50団団長、第28混成旅旅長を歴任した。1926年(民国15年)、は直魯聯軍第1軍副軍長兼前敵総指揮に任命され、馮玉祥国民軍を撃破している。この時の功績により、直隷軍務督弁兼直隷省長に任命された。しかし、1928年(民国17年)に奉天派が中国国民党北伐軍に敗北すると、張とは下野した。

その後も、玉璞は張宗昌のために、山東省膠東一帯で活動し再起を図った。しかし1931年(民国20年)、かつての部下であった国民革命軍第21師師長兼山東省政府委員の劉珍年膠東で捕縛され、生埋めの刑に処された。享年45。

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参考文献

  • 来新夏ほか『北洋軍閥史 下冊』南開大学出版社、2000年。ISBN 7-310-01517-7
  • 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1
  • 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1
 中華民国の旗 中華民国北京政府
先代
孫岳
直隷督弁
1926年3月 - 1928年6月
(1927年8月まで署理)
次代
(廃止)
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