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西川博夫
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西川 博夫(にしかわ ひろお、1918年 - 1944年7月3日)は、日本の元アマチュア野球選手。埼玉県出身。ポジションは外野手。
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来歴・人物
浦和中学(現・埼玉県立浦和高等学校)在学中は、甲子園に2回(春2回〈1935年、1937年〉)出場した。浦和中は1935年春には、初出場(埼玉県内では川越中学〈現・埼玉県立川越高等学校〉に次いで2番目の出場)ながらベスト8に入る活躍を見せたが、1937年春の大会では初戦(3月29日)の対・滝川中学〈現・滝川中学校・高等学校〉戦で0-27という大敗を喫した[1]。
1938年早稲田大学に入学、東京六大学リーグ戦にも出場した。しかし早大卒業後応召され、1944年7月3日、中国北支・石門の陸軍病院にて戦病死した。享年26。
東京ドーム内の野球殿堂博物館にある戦没野球人モニュメントに、彼の名前が刻まれている[2]。
脚注
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