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訟師
中国の訴訟業者 ウィキペディアから
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訟師(しょうし[1])とは、前近代中国において、民の訴訟を支援し、訴状の代筆などを請け負った人々。江戸時代日本の公事師、現代の弁護士(中国語では律師)に近い[2]。訟棍、嘩徒などともいう[3][2]。
訟師とは
訟師は科挙に挫折した知識人層が多かった[4]。法廷弁論はせず[2][5][6]、識字能力が低い庶民の訴状の代筆や、相手方から入手した示談金などで生計を立てた[7]。勝訴のために事実を脚色・捏造する場合もあった[8][9]。抗租運動における図頼(地主への反抗運動)の支援もした[4]。体制側からは公認されておらず、争いを助長するトラブルメーカーと見なされ[7]、たびたび摘発・処罰の対象となった[2][9][8]。
南宋の『名公書判清明集』[3]、清の『紅楼夢』[10]『大清律例』[9]、檔案や官箴書[8][7]、清末民初の『申報』『点石斎画報』など多くの史料に[11]、訟師にあたる人々への言及がある。古くは西周時代に同様の人々がいたことが『周礼』や金文資料から窺える[2]。春秋時代の鄧析も同様の活動をしていた[2]。
「訟師秘本」と総称される訟師用のマニュアル本や、「悪訟師」を主人公にした小説(平襟亜『中国悪訟師』[12])も書かれた[7]。
体制側の法律家である幕友とライバル関係にあった[7]。幕友もまた科挙受験生が多く、訟師が幕友に転業した例もあった[7]。
清末民初になると、西洋由来の弁護士(律師)や単純な代書屋に取って代わられた[13]。
似た存在に、日本の公事師、イギリスのソリシター、イスラム世界のワキールなどがいるが必ずしも同じでない[14]。
訟師の実態は曖昧な点が多い。夫馬進の説では、才智をもって民を助ける英雄的存在だった[9]。一方、唐澤靖彦の説では、マニュアル通りに働くだけの代書屋だった[9]。寺田浩明の説では、どちらも事実の一端を示しており、前者が上級の訟師で「訟師秘本」の著者、後者が下級の訟師で「訟師秘本」の読者だった[9]。夫馬進は、訟師が生まれた要因として、体制側の問題(強い書面審理主義や無訟主義)を指摘している[15]。
21世紀には、中国の歴史ドラマ『天地に問う Under the Microscope』[16]や『春うらら金科玉条』に訟師が登場する。
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関連項目
脚注
参考文献
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