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訾敖
春秋時代の楚の王 ウィキペディアから
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訾敖(しごう)は、春秋時代の楚の王。姓は羋、氏は熊。諱は比。共王の子。
生涯
郟敖4年(紀元前541年)11月、郟敖が公子囲に殺害されると、熊比は晋に亡命した。霊王12年(紀元前529年)4月、晋から帰国した。弟の公子黒肱・公子弃疾や陳や蔡の人々と結んで、兄の霊王を討つべく、国都の郢を攻撃した。熊比は楚王を称し、公子黒肱を令尹とし、公子弃疾を司馬とした。5月、霊王を自殺に追いつめた。しかし新王の訾敖(熊比)は霊王の死の知らせを聞いていなかった。観従が訾敖に公子弃疾を殺害するよう勧めたが、訾敖は「酷いことはできない」と言って聞き入れなかった。
ほどなく国都で「王入矣(王が入城なさった)」という流言があり、さらに公子弃疾が「王至矣(王が到着なさった)」と触れ回らせた。霊王の帰還と国人の離反を信じ込んだ訾敖と公子黒肱は自殺した。
参考文献
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