トップQs
タイムライン
チャット
視点

霊王 (楚)

ウィキペディアから

Remove ads

霊王(れいおう)は、中国春秋時代の王。、のちにと改名した。共王の次男。

概要 霊王 熊虔, 王朝 ...

生涯

父共王の死後、王位は長兄の康王が継いでいた。康王の死後はその息子の郟敖が継いでおり、熊囲はその令尹となって補佐していたが、郟敖4年(紀元前541年)に郟敖を殺害して自ら王として即位した。主に勢力拡大に従事し、諸侯と会盟してを討った。

霊王8年(紀元前533年)にを、霊王10年(紀元前531年)にを討った。その後も、次いでまた呉を討つなどして楚の勢力を拡大した。しかし、連年の戦役は臣民に多大な負担を強いた。このため臣民の心は霊王のもとから離れ、公子の熊比・熊黒肱(子皙)・熊弃疾ら(3人とも霊王の弟)は反対派を結成し、霊王12年(紀元前529年)に霊王が軍を率いて都のを留守にするとクーデターを決行。留守を預かっていた霊王の太子である熊禄を殺害した。このクーデターを知って霊王の楚軍は一気に崩壊し、霊王は山中をさまよいながら死んだ。

死後、王位はクーデターで中心的な役割を果たした熊比こと訾敖が継いだが、弟の熊弃疾が再度クーデターを起こして兄たちを排除し、彼が平王として即位した。

Remove ads

家庭

父親:

  • 共王(熊審、第7代楚王)

兄弟:

  • 康王(熊招、第8代楚王)
  • 訾敖(熊比、第11代楚王)
  • 熊黒肱(子皙、令尹, zh
  • 平王(熊弃疾、第12代楚王)

子:

  • 太子禄(霊王太子)
  • 公子罷敵

脚注

参考文献

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads