トップQs
タイムライン
チャット
視点
諏訪頼意
日本の江戸時代中期の武士・俳人。信濃諏訪藩家老諏訪盛住の子で、諏訪図書家4代当主。家老を勤め、俳人としては水間沽徳に師事 ウィキペディアから
Remove ads
諏訪 頼意(すわ よりおき)は、信濃諏訪藩の家老。諏訪図書家第4代。
![]() |
家系
生涯
諏訪藩家老・諏訪図書家第3代盛住(頼及)の長男として生まれる。母は、旗本・大久保長重の娘で、藩主・諏訪忠恒の養女。延宝8年(1680年)、盛住の隠居により知行、1,200石の家督を相続する。
天和2年(1683年)、藩主・諏訪忠晴が幕府より越後国頸城郡の検地を命じられ、その奉行を務めた。天和3年(1683年)、検地の功績により、江戸城に登城し老中・大久保忠朝出座の上で、時服と白銀を賜った。元禄4年(1691年)、忠晴が幕府より大坂加番を命じられ、その供をする。
正徳4年(1714年)、病により隠居し、家督を長男の頼記に譲る。享保2年(1717年)8月、頼記が早世したため、その弟の頼弟が跡を継いだ。頼弟の子が、二の丸騒動で永牢となる頼英である。
享保11年(1726年)8月2日、死去。
人物
参考文献
- 諏訪教育会『諏訪史年表』
- 諏訪教育会『諏訪資料叢書第27巻』
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads