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講座派

戦前の日本のマルクス主義者の一派で日本共産党系。コミンテルンの指示もあり、日本で天皇制打倒のブルジョア革命後に社会主義革命を起こす「二段階革命」を支持した立場。 ウィキペディアから

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講座派(こうざは)とは、日本資本主義論争において労農派と対抗したマルクス主義者の一派。岩波書店から1930年代前半に出版された、『日本資本主義発達史講座』を執筆したグループが中心となったのでこう呼ばれる。

概要

明治政府下の日本政治体制絶対主義であり、また当時の社会経済体制の実態は半封建的地主制である、と捉え、天皇制を打倒するブルジョア民主主義革命社会主義革命に強行的に転化する、とする「二段階革命論」を唱えた。これはコミンテルン32年テーゼを擁護するものとなり、当時の日本共産党の基礎理論となった。

主な人物

影響

講座派は1936年コム・アカデミー事件で一斉検挙されたために壊滅状態になり、日本資本主義論争も途絶えた。彼らの歴史観は農地審議会や中央農地委員会で委員、農地改革記録委員会で委員長を務めた山田盛太郎らを通して戦後農地改革に影響を与えたとされる。しかし、農地改革はナチス・ドイツの世襲農場法も参考にしたように当時の農林大臣松村謙三反共政策として意図していたため[1]、山田は農地改革によって起こった零細分散錯圃を「零細地片的私的所有」として否定し[2]集団化すべきとする大農主義を訴えた。また、丸山眞男大塚久雄大河内一男川島武宜は講座派の理論から影響を受けた[3]

出典

関連項目

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