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谷口大智
日本のプロバスケットボール選手 ウィキペディアから
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谷口 大智(たにぐち だいち、1990年4月15日 - )は、日本のバスケットボール選手である。洛南高校で2006年から2008年にかけ、ウィンターカップ3連覇を達成した。その後、井上雄彦が創設したスラムダンク奨学金の第2期奨学生として2009年にアメリカへ留学し、2年制のアリゾナ・ウエスタン大学を経て4年制のサウスイースタン・オクラホマ州立大学に編入した。2015年に大学を卒業した後、ターキッシュ エアラインズ bjリーグの秋田ノーザンハピネッツと契約し、プロ選手となった。現在は群馬クレインサンダーズに所属している。
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経歴
要約
視点
1990年、奈良県に生まれる。2歳でバスケットボールを始め、複数のスポーツに取り組んだ後、中学生からバスケットボールに専念するようになる[2]。小学6年生の時点で身長は既に191cmに達し、テレビ番組に取り上げられるなど注目を集める存在であった[2]。
小、中ともに所属チームを全国大会に導き[3]、中学卒業後は強豪として知られる洛南高校に進む。洛南では1学年上の辻直人、同期の比江島慎らと共にウィンターカップ3連覇を達成。この間、U-15、U-18の日本代表にも選出された。高校卒業を控えた谷口はスラムダンク奨学金に応募し、早川ジミーと共に合格、卒業後渡米し2009年4月にプレップスクールであるサウスケントスクールに入学した。
サウスケントでは、それまでのセンターからパワーフォワードのポジションに移り、シーズン序盤から先発として出場機会を得る[4]。終盤で控えに回ることになったものの[5]、卒業後は2年制のアリゾナ・ウエスタン大学に、早川と共に進学することになった。
アリゾナ・ウエスタン大での1シーズン目は、シュート力を買われスモールフォワード、またはシューティングガードとしても起用されることもあり、チーム最多となる32本のスリーポイントショットを成功させた[6]。2シーズン目にはヘッドコーチの交代や、ドリブルが不得手と評価されたこともありパワーフォワードで起用されるようになり[6]、このシーズンの優勝に貢献した[7]。
卒業後、早川が帰国する一方、谷口はアリゾナ・ウエスタン大時代の恩師がコーチを務めている縁もあり、デニス・ロッドマンを輩出したサウスイースタン・オクラホマ州立大学に編入する。1年目のシーズンをレッドシャツ(練習生)として過ごし[8]、2シーズン目となる2013-14シーズンには先発出場16試合を含む27試合に出場、チーム2番目となるスリーポイント成功数39を記録した[9]。しかし翌2014-15シーズンの序盤である11月の試合中に右肘を脱臼[10][11]、2か月後の2015年1月下旬に復帰し、2月19日の試合ではスリーポイントを1本決めるも、これがこのシーズン唯一の得点となった[9]。
大学卒業後は帰国し、日本国内の病院で肘のクリーニング手術を受ける[12]。帰国後の谷口には出身地である関西地方のチームなどから勧誘があった中、谷口は秋田ノーザンハピネッツとの契約を選んだ[13]。
2017-18シーズンは、昇格がかかった熊本とのプレーオフ第二戦において、6本のスリーポイントシュートを決め、勝利に大きく貢献した。
2018-19シーズンは、副主将に任命されたが、11月に俊野達彦が移籍したため、主将に昇格[14]。シーズン終了後、広島ドラゴンフライズに移籍[15]。広島では2シーズンプレーしたのち、2021-22シーズンは茨城ロボッツと契約。2022-23シーズンからは島根スサノオマジックと契約[16]。
2024年10月、自身がプロデュースした童話の絵本を出版[17]。絵本のテーマは個性の尊重であり、少年時代に高身長で悩んだ経験をもとにしている[17]。
2025-26からは群馬クレインサンダーズと契約[18]。
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日本代表歴
FIBAワールドカップ2023アジア予選Window2のチャイニーズ・タイペイ戦で初出場。
家族
ライジングゼファーフクオカに所属する谷口光貴は弟。妹も大阪薫英女学院在学中にウィンターカップ出場を果たした[19]。
大学成績
レギュラーシーズン
プレイオフ
脚注
外部リンク
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