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踞尾村

日本の大阪府泉北郡にあった村 ウィキペディアから

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踞尾村(つくのむら)は、かつて和泉国大阪府にあったである。現在の堺市西区の一部に相当する。

概要 つくのむら 踞尾村, 廃止日 ...

歴史

踞尾の地名は、神功皇后三韓征伐の際にこの地に立ち寄り、人々がひれ伏した(踞る<うずくまる>)という逸話に由来する。

安土桃山時代から蔵入地寺領があり、江戸時代幕府領旗本知行所・寺領に分かれていた。寺領は西本願寺領と16ヶ寺領に分かれ、江戸後期になると堺16ヶ寺領はさらに南宗寺・常楽寺・向泉寺の3ヶ寺領と他13ヶ寺領に分かれた。

1698年元禄11年)に当村の北村六右衛門が摂津国西成郡の三軒家浦に新田を開発。「和泉国」「踞尾村」から一字を取って泉尾新田と名付けられた。また、1925年大正14年)には北村姓を取った泉尾北村町という町名も誕生した(現・大阪市大正区泉尾、同区北村)。

1960年昭和35年)に津久野駅が開業したが、「踞尾」の表記に難色を示した国鉄が「津久野」表記を採用した。これがきっかけとなり、1964年(昭和39年)には地名も「津久野」の表記に変更された。現在は氏神社の踞尾八幡神社などに「踞尾」の表記が残っている。

沿革

  • 1889年(明治22年)4月1日 町村制施行により、大鳥郡上石津村、市村、踞尾村が合併して大鳥郡神石村となる。
  • 1891年(明治24年)2月25日 神石村から分立して、大鳥郡踞尾村(町村制)となる。
  • 1896年(明治29年)4月1日 郡の統廃合により、泉北郡に所属。
  • 1942年(昭和17年)7月1日 泉北郡浜寺町鳳町八田荘村深井村東百舌鳥村と共に堺市に編入される。
  • 1943年(昭和18年) 一部が堺市上野芝町に編入され、同市上野芝向ケ丘町、神野町、踞尾本町、鶴田町、踞尾宮本町、宮下町、下田町の町名に改称。
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経済

産業

金融機関

出身・ゆかりのある人物

  • 似雲(僧、歌人) - 晩年は踞尾に隠棲。

脚注

参考文献

関連項目

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