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西成郡
日本の大阪府(摂津国)にあった郡 ウィキペディアから
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郡域
歴史
要約
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古代
「日本書紀」に、大阪湾の中央に南北に突き出した上町台地の東部(河内湖沿い)を「難波大郡」(なにわのおおごおり)、西部(大阪湾沿い)を「難波小郡」(なにわのこごおり)と称したことが記載されている。大郡・小郡とは大化の改新の制度で、五十戸を「里」とし三里で「小郡」、四里~三十里で「中郡」、四十里以上で「大郡」となる。つまり外海に面しているわりには西側のほうが小さな集落だった。
713年(和銅6年)に郡・郷の名称が公式に定められ、東部の難波大郡を東生郡(後に東成郡)、西部の難波小郡を西生郡と称するようになった。西生の「生」は「生る」に由来し、「上町台地の西側に新たに生まれた集落」という意味であった。
上町台地西側は難波津があり、難波長柄豊崎宮などたびたび首都や副都が置かれ、大陸や西日本各地との交易拠点となった。難波京が廃れてからは一時ほど重要ではなくなった。
中世には渡辺津が繁栄を極める。室町時代、摂津国のうち神崎川以南の西生・東生・住吉の3郡は「欠郡」(かけのこおり)と総称され、分郡守護が置かれた。
その後石山本願寺・大坂城などが上町台地の突端に置かれるようになって周囲に町が発達した。特に豊臣秀吉は上町台地西側に新しい都市、大坂の町割を行い全国から商人を集めた。大坂の陣でこの地を接収した江戸幕府も引き続き大坂の整備と特権を認めて天下の台所と呼ばれるまでの商工業都市となった。
一方、淀川や大和川が流してくる土砂は上町台地のはるか西の沖合いまで、いくつもの支流と小島を作って海を埋め尽くすようになった。この土砂は通行路である河川を浅くしてしまい、洪水や氾濫の原因にもなる厄介なものだったが、次第にこれらの新しい島も新田開発が進められるようになった。
中世以降「西生」と「西成」の表記が混在するようになり、江戸時代中期以降はほとんど「西成」と表記されている。
式内社
近世以降の沿革
- 「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での支配は以下の通り。●は村内に寺社領が存在。下記のほか町地として東成郡と跨る形で大坂三郷が存在し、概ね上町以外の地域が国絵図等で西成郡となっている。(2町125村)
- 慶応4年
- 明治2年
- 明治4年
- 明治5年(1872年) - 庄左衛門新田・桜井新田の所属郡が住吉郡に変更。(3町123村)
- 明治7年(1874年) - 吉右衛門肝煎地が東成郡中道村の一部(字清水谷)を編入。
- 明治8年(1875年)4月30日 - 大区小区制の大阪府での施行により、大坂四大組の区域を除く西成郡が第6大区となる。
- 明治10年(1877年) - 伝法村が分割して北伝法村・南伝法村となる。(3町124村)
- 明治12年(1879年)(13町124村)
- 明治15年(1882年)(14町123村)
- 吉右衛門肝煎地が改称して清堀村となる。
- 安井九兵衛請所が改称して安井村となる。
- 難波島村が改称して難波島町となる。
- 明治16年(1883年)(14町122村)
- 南宮原村の一部が分立して東宮原村となる。
- 助太夫開が大野村に合併。
- 木寺村・川口新家村が合併して木川村となる。
- 明治17年(1884年) - 上田新田が千島新田に合併。(14町121村)
- 明治19年(1886年) - 中在家村・今在家村が合併して粉浜村となる。(14町120村)
- 明治20年(1887年) - 藻刈町・野上町・霧島町・菜摘町・千里町・入江町・穂波町・洲先町・栄町・七瀬町が合併して西浜町となる。(5町120村)
- 明治21年(1888年) - 新家村が改称して菅原村となる。
町村制以降の沿革

- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、下記の町村が発足。全域が現・大阪市。(2町30村)
- 曽根崎村(単独村制。現・北区)
- 上福島村(単独村制。現・福島区)
- 下福島村 ← 下福島村、安井村(現・福島区)
- 北野村(単独村制。現・北区)
- 川崎村(単独村制。現・北区)
- 野田村(単独村制。現・福島区、此花区)
- 天保町(単独町制。現・港区)
- 九条村 ← 九条村[西九条を除く]、岩崎新田(現・西区)
- 三軒家村 ← 三軒家村、三軒家町(現・大正区)
- 西浜町(単独町制。現・浪速区)
- 難波村 ← 難波村、西側町、材木置場(現・浪速区)、西高津村[字髭剃](現・中央区)
- 伝法村 ← 北伝法村、南伝法村、申村(現・此花区)
- 鷺洲村 ← 海老江村、浦江村(現・福島区)、塚本村(現・淀川区)、大仁村(現・北区)
- 中津村 ← 光立寺村、下三番村、小島新田、小島古堤新田(現・北区)、成小路村(現・淀川区)
- 豊崎村 ← 南長柄村、国分寺村、北長柄村、本庄村、南浜村(現・北区)
- 勝間村(単独村制。現・西成区)
- 粉浜村(単独村制。現・住之江区)
- 木津村(単独村制。現・西成区、浪速区)
- 川南村 ← 津守新田(現・西成区)、難波島町、中口新田、今木新田、千島新田、南恩加島新田、平尾新田、炭屋新田、泉尾新田、小林新田、岡田新田、北恩加島新田、千歳新田(現・大正区)、石田新田、田中新田、木屋新田、湊屋新田、八幡屋新田、市岡新田、池山新田、前田屋新田、池田新田、北福崎新田、南福崎新田(現・港区)
- 今宮村(単独村制。現・西成区)
- 西中島村 ← 柴島村、薬師堂村、南方新家村(現・東淀川区)、川口村(現・淀川区)、浜村、淡路村、南方村、山口村、西村(現・東淀川区、淀川区)
- 豊里村 ← 菅原村、三番村、天王寺庄村、橋寺村(現・東淀川区)
- 大道村 ← 北大道村、南大道村、西大道村(現・東淀川区)
- 中島村 ← 江口村、小松村(現・東淀川区)
- 新庄村 ← 上新庄村、下新庄村(現・東淀川区)
- 北中島村 ← 蒲田村、北宮原村、南宮原村、宮原新家村、東宮原村、十八条村(現・淀川区)
- 神津村 ← 三津屋村、野中村、新在家村、堀村、今里村、小島村、木川村、堀上村(現・淀川区)
- 歌島村 ← 加島村(現・淀川区)、野里村、御幣島村(現・西淀川区)
- 千船村 ← 大和田村、大野村、百島新田、佃村、蒲島新田(現・西淀川区)
- 稗島村(単独村制。現・西淀川区、此花区)
- 福村 ← 福村、南酉島新田(現・西淀川区)
- 川北村 ← 春日出新田、南新田、四貫島村、六軒屋新田、秀野新田、恩貴島新田、島屋新田、本酉島新田、常吉新田、西野新田、九条村[西九条](現・此花区)、北酉島新田、西島新田、矢倉新田、中島新田、布屋新田、出来島新田、酉洲新田(現・西淀川区)
- 清堀村が東成郡清堀村となる(単独村制)。
- 明治23年(1890年)12月27日 - 郡役所が上福島村に移転。
- 明治30年(1897年)4月1日 - 下記の区域が大阪市に編入。(20村)
- 明治36年(1903年)11月5日 - 伝法村が町制施行して伝法町となる。(1町19村)
- 明治44年(1911年)2月1日(3町17村)
- 明治45年(1912年)1月1日 - 豊崎村が町制施行して豊崎町となる。(4町16村)
- 大正4年(1915年)11月10日 - 勝間村が町制施行・改称して玉出町となる。(5町15村)
- 大正6年(1917年)9月1日 - 今宮村が町制施行して今宮町となる。(6町14村)
- 大正11年(1922年)5月1日(7町13村)
- 千船村が町制施行して千船町となる。
- 大正11年(1922年)7月15日(8町12村)
- 神津村が町制施行して神津町となる。
- 大正11年(1922年)10月1日(9町11村)
- 稗島村が町制施行して稗島町となる。
- 大正12年(1923年)6月1日 - 西中島村が町制施行して西中島町となる。(10町10村)
- 大正14年(1925年)4月1日 - 全域が大阪市に編入され、下記の3区が発足。同日西成郡廃止。大阪府では1896年の郡の再編以来、東成郡と共に初の郡消滅となるとともに、大正時代最後の郡消滅ともなった。
変遷表
自治体の変遷
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行政
- 歴代郡長[25]
脚注
参考文献
関連文献
関連項目
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