トップQs
タイムライン
チャット
視点
辰馬半右衛門
ウィキペディアから
Remove ads
辰馬 半右衛門[1](たつうま はんえもん[2]、前名・發蔵[3]、1877年〈明治10年〉8月11日[4] - 没年不明)は、日本の政治家、酒造家(銘酒・東自慢醸造本舗[注 1])[3][5]、実業家、兵庫県多額納税者[6][7]、海運業者、地主[注 2]。

兵庫県武庫郡鳴尾村長[4][9]。本辰馬商店店主[10]。辰馬商会社長[3][11]。京都貿易銀行頭取[6]。東辰馬酒造取締役[3][6]。阪神電気鉄道、日本摂酒各監査役[6]。族籍は兵庫県平民[3][6]。
経歴
先代・辰馬半右衛門の二男[3][4][6]。1892年、家督を相続し、前名・發蔵を改め襲名した[4]。清酒醸造業や、鉱山海運業を営んだ[5][6][注 3]。
1887年、西宮の辰馬家当主辰馬吉左衛門と「有限責任盛航会社」を設立した[13][14]。
1902年、摂津航業を買収して「辰馬商会」と改称した[3][6]。
1905年、阪神電気鉄道が開通すると地元の武庫川堤約7千坪を開墾して翌1906年に百花園[注 4]を開設、日本摂酒監査役に就任した[14]。頭取に就任した京都貿易銀行は「京都通商銀行」と改称、1921年4月休業破産、1930年4月、任意解散が認可された[14]。
人物
日本一の酒屋長者である[2]。株式界の仕手としても著名であった。真偽のほどは不明だが、当時の株式市況では仕手筋たる「鳴尾辰馬困窮の風説」がしばしば流布された[14]。苦楽園付近にも約50万坪を保有し、「御影土地」の発起人としても登場しており、阪神間の主要な不動産投資家でもあった[14]。
家族・親族
- 辰馬家
辰馬家は古くより兵庫県武庫郡鳴尾村(現西宮市)に土着し、当主に至るまで15代の旧家である[3][4][6]。寛永年間から千石船数十隻を運航し、1885年、辰馬鉱業部を創業して和歌山県東牟婁郡三尾川で銅山を採掘した[14]。1915年、酒造経営が行き詰まったのを機に、小西酒造に商標をはじめ酒造蔵、土地、建物などいっさいを売却、小西酒造は新たに西宮市今津に「本辰酒造株式会社」を設立した[16]。
- 父・半右衛門[3][6]
- 母・まき(1845年 - ?、大阪、岩崎徳右衛門の八女)[3]
- 妻・清子(1884年 - ?、子爵水野忠款の叔母)[3][6]
- 男・明(1908年 - ?)[3][6]
- 長女・恭子(1901年 - ?、東京、鍋島二郎の妻[4]、あるいは大阪、生駒季子方に入家[6])
- 二女・慶子(1902年 - ?、兵庫、辰馬半蔵の長男章蔵の妻)[4]
- 親戚
脚注
参考文献
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads