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追分町
かつて日本の北海道勇払郡にあった町 ウィキペディアから
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追分町(おいわけちょう)は、かつて北海道南部、胆振支庁管内勇払郡に存在した町。室蘭本線と石勝線の交差する地点にあり、古くから鉄道の町として栄えた。
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地理
胆振支庁管内北東の内陸部、夕張山地と馬追丘陵へと続く丘陵地上にある。南は早来町、西は千歳市、北と東は由仁町に囲まれている。町の東端、早来町と由仁町との境界付近に源を発する安平川が、大きく弧を描いて町西部へ移り、追分駅を中心とする市街地を通って早来町へと流れている。
内陸性の気候で、夏は気温が高く、冬は厳しい寒さとなるが、積雪量は比較的少ない。
- 山 : シアビラヌプリ (364m)
- 河川 : 安平川
- 湖沼 :
隣接していた自治体
歴史
この地は植苗村アビラと呼ばれていたが、1892年に鉄道が開通した際、室蘭本線と夕張線(現石勝線)の分岐点であることから「追分」の名がついた。停車場、機関区が置かれ、鉄道関係者が多く定住するようになったのが町の基礎であった。以来苫小牧戸長役場の管轄下に置かれていたが、役場が遠く不便であることから、1900年、植苗村の一部と勇払村の一部(現在の早来町)を合わせて安平戸長役場を置いた。鉄道資材の生産、駅周辺での旅館・商店など、特に商工業面での追分地区の発展はめざましく、明治の終わりには人口が1万人を数えるまでになった。
大正以降、林業の衰退、大きなコークス工場の閉鎖などで人口は減っていった。一方で村の事業は役場のある早来地区に多く配分されている、との不満も追分の住民の間にあり、分村を求める動きが出始めた。1952年1月30日、村議会で追分高校設置案が否決されると分村運動は本格化し、その年の8月1日には追分村が発足することとなった。その後半世紀あまりを経た2004年4月、早来町と追分町は法定合併協議会を設置し、再合併に向け協議を続けてきた結果、両町は合併で合意し、2006年3月27日に新設合併して安平町(あびらちょう)が発足することが決まった。
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字名
- 1973年(昭和48年)11月1日に字名改正が実施され、小字が廃止され大字と小字の中間的な「字」が設置された。[2]
- 早来町と合併し、安平町となる際に、新たに「追分」を冠した[3]。(例:勇払郡追分町旭→勇払郡安平町追分旭)
字名改正
- 後に弥生から若草三丁目、中央、豊栄から白樺一、二丁目が追加された。
経済
産業
- 農業はメロンが特産。「アサヒメロン」のブランド名で知られる。
- 新千歳空港、苫小牧港に近いことを生かし工業誘致も進めている。
教育
- 高等学校
- 北海道追分高等学校(道立)
- 中学校
- 追分
- 小学校
- 追分
交通
空港
- 新千歳空港(千歳市)から約15km。
鉄道
バス
道路
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
- 鹿公園
出身の有名人
ゆかりの有名人
脚注
関連項目
外部リンク
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