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東京映画撮影所
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東京映画撮影所(とうきょうえいがさつえいじょ)は、かつて存在した日本の映画スタジオである。1953年(昭和28年)に連合映画が連合映画撮影所(れんごうえいが-)として開所した。1962年(昭和37年)に東京映画の「東京映画撮影所」が同地に移転した。
データ
名称の変遷
略歴・概要
連合映画撮影所
1953年(昭和28年)2月28日、連合映画がレンタルスタジオ連合映画撮影所として開所した。隣接して俳優の森繁久彌邸があり、同邸前の通りは「森繁通り」と呼ばれた。
連合映画は、東宝を公職追放で離れた森岩雄が代表をつとめる映画会社で、1951年(昭和26年)には新東宝と提携し、田中重雄監督、久慈あさみ主演の映画『女豹の地図』を製作した会社である。森は同年東宝に顧問として復帰、翌年に取締役に返り咲き、連合映画の企業としての役割は変わる。
同撮影所では、1956年(昭和31年)に、エノケンこと榎本健一主演、小田基義監督の映画『極楽第一座 アチャラカ誕生』、『極楽第一座 アチャラカ大当り』を製作、いずれも東宝が配給している。同2作のプロデューサーである竹井諒は東宝へ[1]、山本紫朗は宝塚映画へと[2]いずれも同年中に活動の場所を移している。1958年(昭和33年)には渡辺邦男監督の『アンコールワット物語 美しき哀愁』を製作している。
→詳細は「連合映画」を参照
東京映画撮影所
1962年(昭和37年)8月、東京映画が品川区上大崎にあった「東京映画撮影所」を同地に移転した。上大崎の跡地には日本映画新社が入居し、日映新社撮影所となった。移転し、東京映画撮影所に改称した本撮影所は連合映画からのレンタルで、東宝配給の映画を製作した。同社の代表作で東宝の看板番組となった「駅前シリーズ」はシリーズ第5作、久松静児監督の『喜劇・駅前飯店』、「社長シリーズ」はシリーズ第16作、杉江敏男監督の『社長漫遊記』から、本撮影所でセット撮影が行われた。
東京映画製作の映画のセット撮影のほか、レンタルスタジオとしての使用も行なわれ、円谷プロダクション制作のテレビ映画『帰ってきたウルトラマン』(1971年 - 1972年)、『ウルトラマンA』(1972年 - 1973年)、『ウルトラマンタロウ』(1973年 - 1974年)の常設セットも建てられた。
1980年(昭和55年)以降は東京映画は活動を停止しており、その前後に撮影所は更地になり、現在はトヨタ自動車社員寮等の建つ住宅街となった。
註
外部リンク
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