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道了堂跡

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道了堂跡(どうりょうどうあと)とは東京都八王子市鑓水の現在の大塚山公園内にある絹の道(神奈川往還)に関連する文化財である。

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道了堂跡へ続く山道
概要 道了堂跡 Doryo-do Temple ruins, 分類 ...

概要

1874年明治7年)に鑓水商人が浅草花川戸から道了尊勧請したことが始まりである。1875年(明治8年)には道了堂(正式名称:永泉寺別院曹洞宗大塚山大岳寺[1][2][3])が建立され絹の道の中継地として栄えた。

1908年(明治41年)に横浜鉄道(現JR横浜線)が開通すると絹の道が衰退していき、1963年昭和38年)9月10日に堂守の女性が殺害された事件[1]があって以降、無住となり堂宇が荒廃[4]した。

その後、1985年(昭和60年)に八王子市が策定した市指定史跡「絹の道」の保全と環境整備を目的とする基本構想により、1986年(昭和61年)に八王子市が堂守の遺族から土地を買収、道了堂は解体された。1990年平成2年)9月[5]に旧道了堂境内大塚山公園として整備された。

大塚山公園から絹の道資料館までの未舗装区間は文化庁によって「歴史の道百選」に選定されている。大塚は鑓水の旧小字である[5]

階段を上ったところにある二基の灯籠1890年(明治23年)に作られたものである。

稲川淳二による首なし地蔵の怪談[6]で舞台になった場所でもあるが、実際は絹の道や尾根道を辿るハイカーが多く通過し、犬の散歩をする者もいる場所である。ただし夜間は照明が乏しいため、転倒などの事故に注意すべきである。

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脚注

関連項目

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