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郡司明郎

日本のコンピュータエンジニア・経営者・実業家 ウィキペディアから

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郡司 明郎(ぐんじ あきお、1947年(昭和22年)5月8日 - )は、日本コンピュータエンジニア経営者実業家アスキー社長会長東京都生まれ。千葉工業大学卒業。

概要 ぐんじ あきお 郡司 明郎, 生誕 ...

人物

大学卒業後、コンピュータ アプリケーションズ(CAC)で、コンピュータエンジニアとして勤務していたが、1976年(昭和51年)に雑誌『I/O』の創刊に参加し、翌1977年(昭和52年)には西和彦塚本慶一郎と共に、日本におけるベンチャー企業の元祖と言われていることになる株式会社アスキー出版を設立し、コンピュータ関連の専門書籍の出版活動を開始する。

西によれば、元々は西が郡司の実家に下宿していたことが知り合うきっかけで、夜毎コンピュータ関連の話題について語り合う仲だった。そんなある日、郡司が突然CACを辞めたため、西が当時編集に関与していた雑誌『I/O』(工学社)への参加を誘ったところ、二つ返事でOKしたという[1]。ところが『I/O』の編集方針で編集長と仲違いしたため、結局「自分たちで雑誌をやる」ということになりアスキーを設立した[1]

郡司は共同創立者の西や塚本よりも年上だったこともあり、出版やソフトウェアビジネスなどの個別のビジネスは両名に任せ、社長として会社全体の経営に携わり、二人を支えた。西も後に「株式会社アスキーの企業としての枠組みをつくったのは郡司さん」と語っている[2]。1987年(昭和62年)には社長職を西に譲り、会長を務めたが、1991年(平成3年)、経営方針を巡る対立から塚本と一緒にアスキーを去った。

アスキーを去った後、塚本と共同出資しインプレスを設立する。1999年よりインプレスホールディングス監査役となったが、2013年に退任している。

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参考文献・関連書籍・関連記事

  • 古川享『僕が伝えたかったこと、古川享のパソコン秘史』 インプレスR&D、2015年

脚注

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