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鄭志龍

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鄭 志龍(ヂョン ヂーロン)は、台湾の元プロバスケットボール選手、バスケットボール指導者。シューティングガードとして活躍したのち、一時期政界に参加した。1990年代の台湾バスケ界を代表する選手である。

概要 鄭志龍, プロフィール ...

来歴

文化大学体育系卒[1]

16歳で年代別代表に選ばれ、19歳で台湾代表入りし、主力として長きに渡り活躍した。その後は宏国隊に入団し、1994年に発足された台湾プロバスケで活躍した。

1999年にリーグが解散すると、中国へ渡り上海シャークスに入団。姚明らとともにチームを引っ張った。

2001年に引退し、親民党の推薦により立法委員選挙に立候補し当選を果たした。しかし2004年に同じ立法委員で元歌手の高金素梅との不倫が発覚し、同年に立法院陳水扁銃撃事件の真相調査会に無断欠席し、親民党により除名されたため、政界から引退した[2]

2007年、SBL、台湾大レオパーズのヘッドコーチに就任。

2021年、台湾プロバスケボールリーグ、P. リーグ+、桃園パイロッツのヘッドコーチ就任。

親族

父親はアメリカ海軍第7艦隊水兵。母親は未婚で鄭を産んだ後、日本に嫁いだ。プロゴルファー下村真由美は異父妹[2][3]。鄭志龍の長男の鄭騏寛もプロバスケットボール選手[2]

脚注

関連項目

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