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酒匂秀一

日本の外交官、元ポーランド大使(1887 - 1949) ウィキペディアから

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酒匂 秀一 (さかわ しゅういち、1887年(明治20年)2月2日 - 1949年(昭和24年)7月23日)は、日本の外交官ロシア通として知られ、南洋協会理事長等を務めた[1]

人物

ポーランド特命全権大使在任中、ナチス・ドイツによるポーランド侵攻を前に、1939年(昭和14年)1月ナチス・ドイツのアドルフ・ヒトラー総統とポーランド外務大臣ユゼフ・ベック大佐の直接会談を実現。ソヴィエト連邦牽制のため、ドイツとポーランドの友好を維持しようとした[2]

在ソヴィエト連邦大使館一等書記官を務めていた際には、ヨシフ・スターリンによる大粛清を逃れてきた共産党員勝野金政を保護した。

略歴

家族

  • 父・酒匂十太郎[4]
  • 母・ムラ - 鹿児島・武林善次郞二女[4]
  • 妻・イト(1899年生) - 福岡・大塚富士太郎長女[4]
  • 長男・孝一(1922年生)[4]
  • 娘・俊子(1910年生) - 庶子。東京・草間貢の養女となる。[4]
  • 娘・安子(1930年生) - 仏文学者の渡辺一民の前妻[5]

栄典

著書

  • 『通商上に於ける日印新關係に就て(經濟研究叢書 ; 第47輯) 』(日本工業倶樂部經濟研究會, 1933年)

脚注

参考文献

外部リンク

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