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野本武一

埼玉県出身の部落解放運動家 ウィキペディアから

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野本 武一(のもと たけいち、1912年3月17日[1] - 1974年6月27日[2])は埼玉県出身の部落解放運動家。部落解放同盟中央執行委員、総理府同和対策審議会専門委員などを歴任した。

概要 野本 武一, 生年月日 ...

略歴

私生児として埼玉県北足立郡桶川町大字町谷616番地に生まれる[3]。両親はいとこ婚であった[4]

1922年桶川小学校在学中から埼玉県水平社に参加[5]1927年、神田電気学校(現・東京電機大学)中退[6]1930年、桶川町に全国水平社桶川町支部を結成[7]1936年、全国水平社埼玉県連合会書記長に就任[8]1938年人民戦線事件で逮捕[9]。同年、部落出身を隠したまま栃木県出身の一般民の女性と結婚[10]

戦後、1946年部落解放全国委員会結成に参加[11]1947年埼玉県議会議員(日本社会党)に当選[12]。このころ、夫を交通事故で亡くした未亡人と知り合い、弔慰金や生活保護の口利きをしたことがきっかけで、この女性と不倫関係になる[13]

1950年、日本社会党から除名処分を受ける[14]

1953年、部落解放委員会埼玉県連合会書記長に就任[15]1955年、部落解放同盟埼玉県連合会書記長[16]1955年、部落解放同盟常任中央委員[17]1958年、部落解放同盟の支部を確立するために関東東北被差別部落オルグ[18]1960年、内閣同和対策審議会専門委員[19]1961年、部落解放委員会埼玉県連合会執行委員長[20]1966年、内閣同和対策協議会専門委員[21]1971年、埼玉県部落解放企業連合会初代理事長[22]1972年、部落解放同盟中央執行委員[23]

長女は植木徹誠夫妻の仲人で井元麟之の甥と結婚[24]。武一の没後、長男の野本勝彦が後を継いだ。

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脚注

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