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野澤和之
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野澤 和之(のざわ かずゆき、1954年〈昭和29年〉 - )は、日本の映画監督、脚本家、演出家、プロデューサー[1]。新潟県南魚沼郡六日町(現・南魚沼市)出身[2]。
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人物来歴
要約
視点
新潟県立六日町高校卒、立教大学社会学部社会学科卒、立教大学大学院文学部博士前期課程修了。文化人類学専攻。その後、米国に留学している[1]。
記録文化映画のフリーランス助監督を経て、テレビ報道の道を歩んだ。その後、テレビドキュメンタリーの世界へも進出し、数々の賞も受賞している。現在は、ドキュメンタリー映画監督として広く知られている[1]。
野澤の作品づくりには、大学で文化人類学を学んだ経験が活かされているという。それは、つまり、「周縁に生きる人々を描く」という、野澤監督独特の感性であり、特徴ともなっている[1]。
2004年に公開のドキュメンタリー映画「HARUKO(ハルコ)」は、在日一世の半生を描いた作品である[3]。全国の映画館で上映され話題作となった。
フィリピンのストリートチルドレンを描いた「マリアのヘソ」は、2008年に公開された作品である[4]。SKIPシティ国際Dシネマノミネート作品。初の劇映画作品でもあった。役者を起用しての作品ということである。
2012年には、記録映画「松代大本営 〜 地下壕が語りかけるもの 〜」を公開[5]。この映画の公式HPには、以下の記述がある。「第二次世界大戦末期、松代町に、天皇のもと戦争を指揮する最高機関・大本営の移転計画が進められた。なぜ大本営が松代町に……[5]」
瀬戸内海に浮かぶ島のハンセン病療養所で暮らす夫婦の愛の物語「61ha 絆」は、文化芸術振興費補助金、文部科学省選定となった[6]。これも2012年公開の作品である。
2014年には、ハンセン病世界最大級の施設があったフィリピン・クリオン島を描いた『CULION DIGNITY』を完成させ、上映した[7]。
続く2016年には、福井県おおい町で、日本の精霊信仰を描いた『ニソの杜』を完成させ、上映した[8]。
テレビ作品では、「涙の川 野宿の夫婦愛」(1997年、ギャラクシー賞)[9]。両手両足のない女性中村久子を描いた「生きる力を求めて」(文部科学省選定)。中村久子は、ヘレン・ケラーとも面会したことがあった。その際、彼女に、「私より不幸な人、そして偉大な人」といわれ、その前半生の崇高な生き様を讃えられた[10]。「エイズその正体」(視聴覚教材優秀賞受賞)[11]。「津軽三味線音探しの旅」「老いて他人と暮らす」「消えたサーカス芸人を追って」「告発」「母よ! ~引き裂かれた在日家族~」「がん治療最前線」「がんホーリスティック治療」ほか多数の作品[1][11]がある。
2023年8月より、ドキュメンタリー映画「認知症と生きる 希望の処方箋」を全国映画館で順次公開中である[12]。『処方箋シリーズ』第2弾となる。
また、2023年10月現在、ドキュメンタリー映画「新渡戸[注 1]の夢」の公開に向けて、鋭意製作中である[13][14]。
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代表的なドキュメンタリー映画作品
代表的なテレビ放映作品
主な著作物
講演活動
エピソード
- ドキュメンタリー映画「がんと生きる 言葉の処方箋」の撮影に健康体で臨んだ野澤監督は、自分ががん患者でないことに引け目を感じていた。奇しくもというべきか、皮肉にもというべきか、その野澤監督自身ががん患者となってしまった。野澤監督は、その貴重な体験を活かし、以下のような「言葉の処方箋」を公開している[19]。
がんと診断された時、目下の急務は忍耐あるのみ。人生を見直すいい機会です。入院治療中の時、全力を尽くして心の中でそっと心配する。人生にはもしかすると、このときのためと思えることがある。退院して仕事をはじめる時、病気になってはじめて人生の優先順位に気づく。映画完成に向けて活動している時、やっぱり最後は人間同士のふれあいが必要。よい言葉は、あなたのこころの隙間に光りを差す。私が受けた言葉の処方箋、拝読有り難うございました。 野澤和之[19]
――「野澤監督から言葉の処方箋」[19](映画「がんと生きる 言葉の処方」公式HP内)より抜粋
- ドキュメンタリー映画「新渡戸の夢」(2023年10月現在|製作中)では、監督である野澤和之が、平成遠友夜学校(北海道大学「遠友学舎」内)であいさつを行なった[20]。2023年(令和5)4月11日のことである[20]。その際、野澤は、藤田正一(平成遠友夜学校校長、北海道大学元副学長、北大獣医学部名誉教授)とも顔を合わせている。ちなみに、平成遠友夜学校とは、北海道大学創基125年を記念して建設された、新渡戸稲造の遠友夜学校の精神を受け継ぐ、夜間学校である。北大構内に建設された校舎「遠友学舎」を中心に開校している。なお、平成遠友夜学校は、2025年で20周年を迎える。――製作費を調達するためのクラウドファンディングでは、この映画の概要を、「新渡戸稲造が夢みた教育の魂を未来に届ける映画」と紹介している[21]。なお、クラウドファンディングは、この映画の女性プロデューサーが中心となって行われた[21]。設定額¥3,000,000円のところ、172人から合計¥4,397,000円の資金が託された[21]。
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映画「新渡戸の夢」ギャラリー|写真で見る新渡戸精神の継承
脚注
関連項目
外部リンク
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