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鈴木勝 (歯学者)

日本の歯学者 ウィキペディアから

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鈴木 勝(すずき まさる、1903年明治36年〉 - 1987年昭和62年〉)は、日本の歯学者医学博士[3]。第六代日本大学総長、第四代、第五代日本歯科医学会会長。

概要 すずき まさる 鈴木 勝, 生誕 ...

概要

会津路の峰、博士山の登山口[4]である福島県河沼郡柳津町大成沢に生まれる[2]

1921年大正11年)に旧制福島県立会津中学校(現・福島県立会津高等学校)を卒業し、日本大学専門部歯科へ進む。在学中に馬術部の創設に関わり、選手として京都若草大会(学生の部)で3位となる[5]。卒業後、専門部歯科助教授となり、放射線学教室を担当。教授に1943年(昭和18年)4月就任したが、より高度の知識と医学学位の取得を求め、1948年(昭和23年)には東京医学歯学専門学校(現・東京医科歯科大学医学科を卒業した[注 1]

その後、日大に戻り、歯学部教授兼学監、歯学部長、理事、総長を歴任。

1960年代、日大紛争時には理事として学生側との交渉を重ね、紛争が収束しつつあった1969年(昭和44年)には総長に選任された。 1984年(昭和59年)までの総長在任中に理事長を兼任し(1974年 - 1981年)、日大の制度・機構などの改革を推進する一方、学生数の適正化・教員の充実に努めた。総長就任は、5期15年の長期に亘った。1984年(昭和59年)日本大学名誉総長。

1971年(昭和46年)には日本大学松戸歯科大学(現・日本大学松戸歯学部)、同付属病院を開学、開院した[6]

松戸歯学部には鈴木の寄付金を基に鈴木奨学金が設けられ[7]、資料室には鈴木が収集した歯学関係の資料も収められている[8]。鈴木が理念とした「医学的歯学」は松戸歯学部の教育研究理念として受け継がれている。

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日大以外の役職

など

なお鈴木は会津会会長[10]として会津地方出身者の中心的存在でもあった。後継会長は川島廣守である。

栄典

関連書籍

  • 河邉清治『河邊清治対談集 私の歯学概論』 医歯薬出版
  • 鈴木勝監修『歯学史資料図鑑 目で見る歯学史』 医歯薬出版

脚注

参考文献

外部リンク

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