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鈴木孫一
日本の雑賀衆、雑賀党鈴木氏の棟梁・有力者の名跡 ウィキペディアから
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鈴木 孫一(すずき まごいち)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・鈴木重秀が名乗った名前で、他にも複数の人物がこの名を称したといわれる。他者により孫市と書かれることがあり[1]、近世には雑賀 孫市(さいか まごいち)や平井 孫市(ひらい まごいち)とも呼ばれた[2]。

(落合芳幾)画
孫一を称した人物
神坂次郎は、鈴木孫市(孫一)を名乗った人物として鈴木佐大夫・鈴木重秀・鈴木義兼の3人を挙げ、水戸藩に仕えた鈴木重朝を重秀と同一人物としている[3]。『和歌山市史』は、石山合戦で活躍する鈴木孫一について近世に様々な名で記録されていることに触れ、いずれも鈴木重秀に同定できるため、複数の人物を想定する必要はないとしている[4]。
以下、文献に鈴木孫一(孫市)として現れる人物や、孫一(孫市)を称したとされる人物を挙げる。
鈴木重朝の子の鈴木重次は、当初は「鈴木孫三郎」を名乗っていたが後に「雑賀孫市」に改名している[26]。以後、水戸藩士の雑賀氏は代々雑賀孫市(または孫一郎)を称した[27]。
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墓所
和歌山県和歌山市平井[28]の蓮乗寺に孫市の墓とされるものがあるが[29]、これは前述の鈴木重兼の墓である[17]。法名は「釈法誓」[30]。死没日を表すものか、墓碑には「天正17年(1589年)5月2日」とある[30]。
孫一を題材とした作品
- 小説
- 映画
脚注
参考文献
関連項目
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