トップQs
タイムライン
チャット
視点

鈴木章夫 (外科学者)

日本の医学者、医師 ウィキペディアから

鈴木章夫 (外科学者)
Remove ads

鈴木 章夫(すずき あきお、1929年11月7日 - 2010年10月28日)は、日本医学者医師。専門は心臓外科学

概要 鈴木 章夫, 生誕 ...

冠動脈外科医であり、心臓のバイパス手術の権威。1995年から2008年まで東京医科歯科大学学長を務めた。[1]

経歴

  • 1950年 東京大学中退
  • 1956年 東京医科歯科大学医学部卒業
  • 1956年 東京米国陸軍病院インターン
  • 1958年 クリーブランド市セントヴィンセントチャリティ病院胸部外科チーフフェロー
  • 1968年 ミシシッピ大学医学部外科教授・同病院心臓血管外科部長
  • 1969年 東京医科歯科大学医学博士「弁移植 」[2]
  • 1974年 順天堂大学医学部胸部外科主任教授
  • 1983年 東京医科歯科大学医学部胸部外科学講座教授
  • 1987年 東京医科歯科大学医学部附属病院長
  • 1992年 東京医科歯科大学医学部長
  • 1995年 東京医科歯科大学学長
  • 2008年 東京医科歯科大学名誉教授

受賞歴

その他

手塚治虫の漫画 ブラック・ジャック

週刊少年チャンピオン1977年10月31日発売45号に掲載された、手塚治虫連載のブラック・ジャック第188話「肩書き」に、J大学(順天堂大学)の鈴木教授なる人物が言及されている。鈴木本人は「彼が僕の記事をどこかで読んだんじゃないかな?」と述べている[10][11][12][9](手塚治虫は病気の為ブラック・ジャックを長期休載後第188話「肩書き」で連載再開しており充電期間中に構想を書き溜めたものが、第188話「肩書き」である。)[13]

1960年、鈴木の名は全米を駆けめぐった

1960年、人工弁の開発成功により、全米で評価を得る[12]

趣味

  • 硬式テニス

逸話

ハーバード大学との提携とアメリカ時代

鈴木が渡米した1957年頃は、人種差別が残り、日本人にマサチューセッツ総合病院レジデントの道は閉ざされていた。 「アパートを探しに行くと、パールハーバーを爆撃した国民に貸す部屋はない、なんていわれたんだからね(笑)」

ただ、クリーブランド市セントヴィンセントチャリティ病院において、鈴木が人工弁の手術に成功すると、逆に、ハーバードから教えを請われることとなる。 「『手術を見せて欲しい、自分たちにもその人工弁を使わせてほしい』と言ってきたよ」

本プログラム、ハーバード大学との提携は鈴木とハーバード大学教授との友情のたまものであった。 「彼らは何かを成し遂げた人物には礼を尽くす。それはアメリカの良いところだね。」

鈴木の若き医学生への願いは 「どうしても助けられない」 、その時に 「何とかできないか」 という思いをたえず持てば 「きっとアイディアが浮かんでくるはずだ。私もそうやって来た」 であった。[14]

Remove ads

脚注

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads