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鎌倉型横穴墓

古墳時代終末から奈良時代の相模国鎌倉郡域(神奈川県鎌倉市周辺)に造られた横穴墓の形態。 ウィキペディアから

鎌倉型横穴墓
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鎌倉型横穴墓(かまくらがたよこあなぼ)とは、鎌倉郡であった神奈川県鎌倉市とその周辺部に存在する、古墳時代から奈良時代始めごろに造られた横穴墓の一種で、玄室の奥壁に「棺室」を持つのを特徴とする。「鍛冶ヶ谷式横穴墓」とも。

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宮ノ前横穴墓群の鎌倉型。手前の羨道玄室のほとんどが崩壊しているので奥の「棺室」が見えやすい。

デザイン

神奈川県では、古墳時代から奈良時代始めに山の斜面に洞窟型墓地である『横穴墓群』が多く造られた。このなかの「鎌倉型」と呼ばれるデザインは、羨道(入口)から入った死者の安置場(玄室)が、細長い台形の床面と、蒲鉾形の天井をもち、さらに奥の壁には、「棺室」といわれる置き棚のような小さな部屋を掘り造っているのを特徴とするものである。

ちなみに鎌倉には、鎌倉時代やぐらと呼ばれる直方体洞窟型の墓地も造られるが、横穴墓とやぐらの間に系統的な関係はない[1]

呼び方の変遷

昔は神奈川県東南部を流れる㹨川横浜市栄区)の流域に見つかることが多く、この付近の地名鍛冶ケ谷をとって「鍛冶ヶ谷式」と呼ばれたが、2004年(平成16年)ごろの研究で、鎌倉市を中心とした鎌倉郡を中心に広がっていることがわかったため「鎌倉型」と呼ばれるようになってきた[1][2]

鎌倉型横穴墓の例

詳しく載っている本

脚注

参考資料

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