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鏡五郎

日本の歌手 ウィキペディアから

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鏡 五郎(かがみ ごろう、1944年6月8日 - )は、日本の演歌歌手大阪府豊中市出身。大阪府立園芸高等学校卒業。長男は作曲家の山中孝真。殺陣師の三好郁夫は兄[1]

概要 鏡 五郎, 出生名 ...

来歴

1967年に「嫌んなっちゃった東京」で日本コロムビアからレコードデビュー。この曲は鏡いわく「そこそこ売れた」という[2]。以降、長い間に渡って下積み生活が続く。その間、俳優としても活動をしており暴れん坊将軍などの時代劇で得意の殺陣を披露した経験がある。所属レコード会社は東芝ビクタートリオを経て、1985年にキングレコードに移籍[2]

1988年に『鴻上尚史のオールナイトニッポン』(ニッポン放送)で自身や家族が話題となり(詳細は後述)、同年に発売した「おしどり人生」がヒット。ようやく一般的な知名度を獲得した。以後演歌界の中堅どころの歌手として活躍。

近年はCDセールスの全般的な低迷から、著名な演歌歌手でもレコード会社との所属契約を解消されてしまうケースが少なくないなか、現在もキングレコードからコンスタントに新曲リリースを続けている。独特の節回しで夫婦ものから、忠臣蔵などの歌謡浪曲まで幅広い作品を歌っている。

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鏡五郎の息子

1988年に『鴻上尚史のオールナイトニッポン』で、当時の「二世ブーム」受けて「Jr.からの手紙」というネタコーナーが放送された。パーソナリティの鴻上尚史が「売れない演歌歌手のJr.」からのハガキを募集したところ、当時中学生の息子・孝真がはがきを投稿。以後、孝真は番組に定期的に電話出演するなど、同コーナーの名物的な存在となった。

この結果、孝真は翌1989年に「鏡五郎の息子」の芸名でキングレコードからCDデビューを果たし、それに伴い父親の鏡五郎も何度となく同番組にゲスト出演するようになった。当時10代から20代が大半を占めていたリスナーの間で鏡五郎の知名度が大きく上昇した。「鏡五郎の息子」のシングル「Jr.からの手紙」は鏡五郎の「おしどり人生」とオリコンシングルチャートに同時チャートインし、北島三郎と1st BLOOD以来、オリコン史上2回目の「親子同時チャートイン」を記録した[3]。孝真の歌手活動はこの一曲で終わるが、その後作曲家となり、現在も活動している。

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エピソード

1980年代に永六輔とともに刑務所を慰問した際、永から芸名の姓である「鏡」を「加賀見(かがみ)」に改名するよう勧められたが、その後も改名することなく「鏡」で通している[2]

ディスコグラフィー

シングル

さらに見る 発売日, 規格 ...

非売品

  • 二代目横綱 若乃花(青森後援会横綱応援歌、作曲:上村晴男)/尻屋の岬(東芝EMI)
  • 上田城(東芝、TF-1285)

アルバム

  • 演歌をうたう(1968年、日本コロムビア、ALS-4352)
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脚注

外部リンク

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