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長沢東城
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長沢東城(ながさわひがしじょう)は、富山県富山市婦中町長沢にあった日本の城。家老屋敷城(かろうやしきじょう)、菅谷砦(すげたにとりで)ともいう。とやま城郭カードNo.63[1][2]。
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規模・概要
無常山(標高約120メートル)の山頂に築かれた山城である。比高差は約70メートル。谷を挟んで西には越中国長沢西城がある。長沢西城を「長沢城」、長沢東城を「長沢城の家老の屋敷」とする意見もあるが、どちらかと言えば長沢東城の方が全体的に高い位置にあり、長沢西城には狼煙台があるなど疑問点も残る。なお富山市公式の埋蔵文化財包蔵地地図(インフォマップとやま)では、長沢東城を「家老屋敷城(遺跡番号509)」、長沢西城を「長沢城(遺跡番号510)」とし、菅谷砦を「菅谷城(遺跡番号483)」として東城・西城の北西にある別城と捉えている[3]。
虎口は枡形虎口で、他の遺構とは一線を画している。ちなみに虎口から下ったところには二つの屋敷跡がある。虎口から入って最初の郭が最も大きく東西約50メートル、南北約75メートル。周りを土塁と切岸で防備している。その東には虎口を見張る形で三角状の郭が張り出しており、これを含めて都合7つの郭を有している。
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歴史
築城者については判然とせず、誰かが長期的に拠点としたという記述も見受けられない。枡形虎口など大手口周辺の堅固な造りから、戦国時代に築かれたのではないかとされている。
現在
自然公園に隣接していることもあり、散策路が設けられているなど整備されて、郭ごとに現在位置を示す案内板がある。付近には王塚・千坊山遺跡群(国の史跡)や「北の比叡山」として栄え後には富山藩主の尊崇も集めた各願寺など名所も多い。
脚注
関連項目
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