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驪興閔氏

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驪興閔氏
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驪興閔氏(ヨフンミンシ、れいこうびんし、朝鮮語: 여흥민씨)は、朝鮮氏族の一つ。本貫京畿道驪州市である。2015年の調査では、161,721人[1]

概要 驪興閔氏, 国 ...

始祖は、孔子の弟子である閔子騫の末裔であり、元々は中国山東地方出身の閔称道である。高麗に使者として渡来し、驪興付近に定住した。

李氏朝鮮の3代王太宗の妃(彰徳昭烈元敬王后)を出し、4代世宗以降はこの血統を受け継いでいるが、驪興閔氏自体は17世紀末に19代粛宗の妃仁顕王后を出しただけで、王朝では決して有力な家門ではなかった。

19世紀中ごろ、驪興閔氏出身の女性の一人が、本流から外れた王族の李応の夫人(驪興府大夫人閔氏)となった。彼女が生んだ次男の命福が26代高宗となり、李応が興宣大院君となった。

外戚として勢威を振るっていた安東金氏の影響力を排除するため、高宗の妃も驪興閔氏の閔致禄の娘が選ばれた。閔妃(明成皇后)である。閔妃は一族を積極的に登用し、大院君が失脚すると驪興閔氏が政権の重職を占めた(閔氏政権)。

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人口分布

2015年統計によると、多くの自治体の総人口に占める比例が1%未満であるが、慶尚南道山清郡(803人、総人口の2.51%)では2%を超えている[3]

脚注

参考文献

関連項目

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