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関重嶷

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関重嶷(せき しげたか、宝暦6年9月3日1756年9月26日) - 天保7年12月17日1837年1月23日))は、江戸時代中期・後期の武士である[1]上野国伊勢崎藩家老。字は子岐。通称は助之丞。号は喚醒、睡峒。名は「しげさと」とも読む[1]。関当義(まさよし)の子[2]

山崎闇斎派の村志玉水に朱子学を学び、安永3年(1774年)藩校学習堂が創設されると学頭に就いた[3]

寛政9年(1797年)伊勢崎藩家老となるが、翌年蟄居を命じられる。天保2年(1831年)蟄居を解かれるが、天保7年(1836年)12月17日死去[4]

浅間山天明大噴火の記録「沙降記」や地誌「伊勢崎風土記」などをあらわした[1][5]

墓は伊勢崎市曲輪町にあり、伊勢崎市指定史跡[6]

脚注

関連項目

外部リンク

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