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阿武素行
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阿武 素行(あんの もとゆき/そこう、天保11年(1840年)2月 - 明治44年(1911年)7月3日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。山口県(旧長州藩)出身。奇兵隊・御楯隊の隊士として幕末の攘夷戦争に参加し、のちに大日本帝国陸軍創設期を支えた。
生涯
周防国玖珂郡布谷村(現・山口県)に生まれる。長州藩足軽の出で、下関戦争に参戦。元治元年(1864年)、奇兵隊に入隊し、御楯隊の創設に尽力、同隊士として活動した。その後、製武隊に統合され、同隊の書記を務めた[1]。
明治維新後は新政府陸軍に出仕し、陸軍の歩兵部門で昇進を重ねた。明治3年(1870年)12月に陸軍准大尉、明治4年(1871年)7月23日に陸軍少佐となり、明治6年に陸軍中佐に進んだ。明治7年3月24日には歩兵第2連隊長、明治11年11月25日には歩兵大佐に昇進した[2]。
明治13年(1880年)4月30日、近衛歩兵第1連隊長に就任。明治15年(1882年)2月8日には近衛参謀長、明治16年(1883年)5月21日には西部監軍部参謀を務めた。
明治19年(1886年)9月30日には陸軍教導団長となり、明治23年(1890年)3月26日に休職。5月10日付で陸軍少将・予備役となった[2]。
その後、明治27年(1894年)の日清戦争時に留守第7旅団長・留守第4師団長事務取扱として召集され、明治32年(1899年)4月1日に退役した。明治44年(1911年)7月3日、京都で病没[1]。
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栄典
脚注
参考文献
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