トップQs
タイムライン
チャット
視点
隗状
ウィキペディアから
Remove ads
隗 状(かい じょう、生没年不詳)は、中国戦国時代末期の秦(秦朝)の政治家。司馬遷『史記』では隗林と記されるが[1][2]、複数の考古資料から誤記であるとみなされている[3]。
秦王政(のちの始皇帝)に仕え、王綰と同時期に丞相の地位にあった[3]。出土した竹簡群と戈の銘文によると、丞相の変遷は「啓(右丞相)と顛(左丞相)」、その後「啓と隗状」、その後「隗状と王綰」が務めていたことが確認される。
経歴
王綰と共に度量衡の統一事業を担った。
始皇28年(紀元前219年)、始皇帝の東方巡行に従い、瑯琊(現在の山東省青島市黄島区)において瑯琊台刻石が設置された際、列侯武城侯王離・列侯通武侯王賁・倫侯建成侯趙亥・倫侯昌武侯成(姓は不明)・倫侯武信侯馮毋択・丞相王綰・卿李斯・卿王戊・五大夫趙嬰・五大夫楊樛らと瑯琊台刻石に名を列せられた[1][2]。
脚注
参考文献
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads