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霊仙寺跡
吉野ヶ里町にある寺院 ウィキペディアから
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霊仙寺跡は、佐賀県吉野ヶ里町松隈にある、8世紀初頭の和銅年間から江戸時代にかけて存在した寺院の遺跡。


山岳仏教の修験場として脊振山系千石山の中腹に開山した。中世期(平安時代 - 鎌倉時代)は付近一体の山地に広まり、一部は肥前国のみならず北方の筑前国側脇山地区[1]にも及ぶほど栄えた。脊振千坊と呼ばれた。
建久2年 (1191年) には臨済宗の開祖、栄西が中国より茶の種を持ち帰り、日本で最初にこの地で栽培したため、日本の茶の栽培の発祥地とされている。
以降、寺院と共に茶園の栽培も盛んになるが、中世に戦国時代の混乱で荒廃し半ば遺棄される。江戸年間には、水上坊の僧仁周が鍋島家の支援を受け再興した。明治維新の廃藩置県により鍋島家の支援が絶たれ、廃絶した。唯一現存する乙護法堂の下などに現存する茶園は、江戸期に経営していた茶園の名残である。
なお、吉野ヶ里町の特産の一つに栄西茶があり、これは開祖栄西の名を頂いたものである。
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蹟物
- 乙護法堂 - 嘉永年間に建立され、唯一現存する。
- 水上坊跡 - 戦国時代 - 江戸時代の中心的坊
- 石上坊跡
その他多数
関連項目
脚注
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