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静岡漆器
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歴史
静岡での蒔絵については、安政年間に書家でもある中川梅綠が興したといわれる[1][注釈 1]。ここから花鳥草木の図柄を用いるようになった[2]。
天保には江戸より蒔絵師を招聘し技術の向上が図られた[2]。 幕府の保護をうけて販売経路も広がり、参勤交代の大名達に好まれた。
さらに開国とともに海外へも輸出され、慶応3年(1867年)4月、パリ万国博覧会に出品するなど、国内外へその名を広め、静岡の漆器は明治期には海外向けに生産され、1884年の万国博覧会では銀牌を受賞し[3]当地漆器業組合主催の漆器共進会が開かれたり[4]、乾燥機の試験的に用いるなど生産性の向上も試みられた[5]。 昭和22年(1947年)には静岡蒔絵工業協同組合が設立された。
特徴
- 木地呂塗
- 錫梨粉地塗
- 虹輝塗
- 浮島塗
- 蜻蛉塗
- 珊瑚塗
- 金剛石目塗
- 変わり塗
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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