トップQs
タイムライン
チャット
視点

高井麻巳子 ほほえみメッセージ

ウィキペディアから

Remove ads

高井麻巳子 ほほえみメッセージ(たかいまみこ ほほえみメッセージ)は、1986年10月14日から1988年3月27日までニッポン放送で放送されていたラジオ番組パーソナリティ高井麻巳子

概要 高井麻巳子 微笑伝言高井麻巳子 ほほえみメッセージ 高井麻巳子 ハローほほえみメッセージ, ジャンル ...
Remove ads

放送時間

  • 毎週火曜日 20:30 - 21:00 (1986年10月14日 - 1987年3月31日)
  • 毎週日曜日 21:30 - 22:00 (1987年4月12日 - 1988年3月27日)

概要

本番組は、スタート当初はおニャン子クラブ出身のメンバー4人が日替わりでパーソナリティを務めた枠『アイドル夢工場』(月曜日 - 木曜日 20:30 - 21:00)の火曜日で放送開始。開始当初の番組タイトルは「高井麻巳子 微笑伝言(ほほえみメッセージ)。『アイドル夢工場』の4番組の内、本番組だけが1987年4月以降も継続となり、毎週日曜日21:30からの枠に移動、これを機に「なかなか『微笑伝言』を『ほほえみメッセージ』と読んでもらえなかった」といった理由で、番組タイトルを『高井麻巳子 ほほえみメッセージ』に改題[3]。毎週日曜日21:30の枠は『ニッポン放送ショウアップナイター』の直後の枠だったため、ナイター中継が延長した場合本番組は短縮あるいは中止になり、これのために1987年4月中は3回とも休止になったということがあった[2]。1987年10月からは全日空ワールドの一社提供番組となり、同年11月からは全日空のブランド名『ハローツアー』に因んで『高井麻巳子 ハローほほえみメッセージ』に改題された。

はがきは毎週4,000 - 5,000通のペースで届き、その内訳は男性9割、女性1割だった[2]。番組中でリスナーみんなで行動するというサークル『高井ギャラリー』も結成された[2]

1988年3月27日放送の最終回は当時ニッポン放送で一番大きかったスタジオ「ラジオハウス銀河(銀河スタジオ)」でリスナーを集めての公開収録の模様が放送された。そこでリスナーからの「結婚はどれくらいの歳でしたいですか?」との質問に高井は「歳ではなく、したい時にしたい」と笑いながら答えていたことがあった[4]

1986年10月から1987年3月の間、火曜20:30で放送していた当時は西日本放送KBCラジオにネット(『アイドル夢工場』の枠一括でネット)されていたが、1987年4月以降、日曜21:30枠に移動してからはニッポン放送のみでの放送だった。テーマ曲に使われていた曲は、ネイティブ・サンの『In Basic Pants』[5]

Remove ads

主なコーナー

ドキドキ初体験
  • リスナーからの様々な「初体験」話を募集していた。
麻巳子の四次元ポスト
自分あてのラブレター
  • リスナー作の、自分宛ての手紙を紹介していた[1]
納豆のうた
  • 『自分あてのラブレター』の後継のコーナー。高井が納豆嫌いであることからコーナー化されたもので、自分の嫌いなものや駄目なことなど、自分の弱点をテーマにして、これを逆に「好きなもの」として詩にしたものを紹介していた[2][1]
学生VS社会人
  • 1987年4月からスタート。リスナー各々の身の回りの小さな出来事を紹介しながら「その時、社会人ならこうする」というテーマのトークを挟んでいた[3]
今週のボツハガキ
  • その回ではがきを読まれなかったリスナーのうち、ごく一部を名前だけ紹介。

ゲスト

スタッフ

  • プロデューサー:湯浅明[1]
  • 構成:橋克弘[2]
  • ディレクター:佐藤仁志[2]

脚注

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads