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高千穂鉄道TR-400形気動車

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高千穂鉄道TR-400形気動車
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高千穂鉄道TR-400形気動車 (たかちほてつどうTR-400がたきどうしゃ)は、2003年平成15年)に2両が製造され、2005年(平成17年)の営業休止まで使用された高千穂鉄道トロッコ型気動車である[8][9]。高千穂鉄道廃止後、九州旅客鉄道(JR九州)に譲渡され、改造の上キハ125形400番台となった[10]

概要 基本情報, 運用者 ...
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概要

1989年(平成元年)4月に日本国有鉄道(国鉄)の第2次特定地方交通線だった九州旅客鉄道(JR九州)高千穂線第三セクターに転換して開業した高千穂鉄道[11]では、1996年(平成8年)からトロッコ車用の導入検討を進め、2003年(平成15年)に2両のトロッコ型気動車を導入した[6]。車体は新潟鐵工所が納入した松浦鉄道MR-500形南阿蘇鉄道MT-3010形などのレトロ調気動車をベース[12]とし、窓を上下方向に拡大したうえで着脱式としている[6]。エンジンは新潟鐵工所DMF13HZディーゼルエンジンを242.7 kW (330 PS)に設定して使用した[5]。全車正面貫通式、両運転台、トイレなし、通路を挟んで両側にテーブル付き4人掛けボックスシートを6組ずつ備え、ドア付近にはテーブル付2人掛け座席が2か所にある[4]。TR-401の車体は黄色に塗装されて「手力男(たぢからお)」の愛称が、TR-402は色に塗装されて「天鈿女(あまのうずめ)」の愛称がつけられた[13]。「トロッコ神楽号」として2003年(平成15年)3月から運転を開始した[13]が、2005年(平成17年)9月の台風による災害で高千穂鉄道全線が不通となり、復旧されることのないまま2008年(平成20年)12月までに全線が順次廃止された[9]。廃線後2両ともJR九州に売却、改造の上キハ125形に編入され、特急「海幸山幸」として2009年(平成21年)10月から運転されている[10][14]

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車体

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黄色に塗装されたTR-401手力男(たぢからお)号

新潟鐵工所製のレトロ調気動車をベースとし、車体長は18 mとなった[6]。両運転台構造で、前面は貫通式である[4]乗務員室は左隅構造で、乗務員用扉が片側1箇所に設けられた[4]。910 mm幅の引き戸の客用扉が片側2か所、運転台直後と反対側車端にある[4]。扉間の窓配置は左右で異なり、高千穂駅側に向かって左側は中央部に2,950 mm幅の3連式窓2箇所、その両側に1,960 mm幅の2連式窓を、反対側は高千穂駅寄りに2,950 mm幅の3連式窓3箇所、反対側客用扉付近に915 mm幅の窓がある[4]。窓は取り外し式とされた[6]。戸袋窓はない[4]。TR-401の外部塗装は黄色、TR-402は緑である[4]。屋根はモニター風の2段屋根で、モニター内に冷房装置が収められている[4]

車内は通路を挟んで両側にテーブル付き4人掛けボックスシートを6組ずつ備え、ドア付近にはテーブル付2人掛け座席が2か所にある[4]。テーブルの高さと、窓側の座席背もたれの高さは窓下辺にあわせられた[6]。開放感を出すため、つり革、網棚は設置されなかった[6]延岡駅寄運転台付近に車椅子スペースを備え[6]、ワンマン運転対応機器も装備された[4]。また、テーブルと座席には高千穂町内で生産された欅の木が使用されていた。導入当初は木製の座席に直接座る仕様であったが、のちに座布団が装備された。

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走行装置

エンジンは、新潟鐵工所製DMF13HZディーゼルエンジンを1基搭載、定格出力242.7 kW(330 PS) / 2,000 rpmで使用された[5]。動力は新潟コンバーター製TACN-22-1628液体変速機を介して2軸駆動の台車に伝達される[6][5]。台車はボルスタレス空気ばね、積層ゴム式NP131D/T-3が採用された[5]制動装置機関排気ブレーキ併用のDE1A自動空気ブレーキが採用された[6][7]

空調装置

暖房装置はエンジン排熱を利用した温風式である。冷房装置は能力18.0 kW(15,500 kcal/h)のデンソー製機関直結式 2台が設置された[5]

車歴

さらに見る 形式, 車両番号 ...

運用

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JR九州に売却後の姿

2003年(平成15年)3月21日から「トロッコ神楽号」として営業運転を開始したが、2005年(平成17年)9月6日に九州地方を襲った台風14号の影響で橋梁2箇所が流出するなど甚大な被害を受け列車運行を休止、部分復旧なども模索された[11]が実現せず、2008年(平成20年)12月までに全線が廃止された[16]

運行休止時には2両とも高千穂駅にあった[16]が、高千穂鉄道からの打診によりJR九州への売却が決定[17]、2009年(平成21年)2月に陸送で搬出され、JR九州小倉工場に入場した[18]

JRでは日南線特急「海幸山幸」で使用するための改造が行われ[10]2009年(平成21年)10月10日から営業運転を行っている[14]

出典

参考文献

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