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高松宮好仁親王

江戸時代前期の皇族、能書家。高松宮(有栖川宮)初代。後陽成天皇の七男。弾正尹 ウィキペディアから

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高松宮好仁親王(たかまつのみや よしひとしんのう、慶長8年3月18日1603年4月29日) - 寛永15年6月3日1638年7月14日))は、江戸時代前期の日本皇族世襲親王家高松宮(有栖川宮)初代当主[1][2]後陽成天皇の第7皇子[2]。母は関白近衛前久近衛前子(中和門院)。幼称を七宮(しちのみや)といい、後に三宮(さんのみや)に改める[2]書号に招月、不白がある。

概要 高松宮好仁親王, 続柄 ...

慶長10年(1605年)に聖護院門主興意入道親王の附弟となり、慶長17年(1612年)に聖護院に入寺。同年12月に親王宣下を蒙り斉祐(ただすけ)と命名される。次いで元服し、名を好仁と改める。同日二品に叙品、弾正尹に任じられる。

寛永2年(1625年)10月に高松宮の宮号を賜る。この宮号は好仁親王の養母勧修寺晴子(新上東門院)の御所が高松殿であったことに由来するという。寛永7年(1630年)に福井藩松平忠直女で2代将軍徳川秀忠養女の亀姫(宝珠院)御息所とする。

能書家として名を馳せ、定家流や近衛流の書を多く揮毫した[2]。寛永15年に薨去、享年36。法名は永照院招月不白。

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子女

    • 第一王女:明子女王(1638-1680) - 後西天皇女御
    • 第二王女:某(?-1700) - 高琳院松誉宝月円清

出典

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