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高橋貞三郎
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高橋 貞三郎(たかはし ていさぶろう、 1871年12月12日〈明治4年11月1日〉[1] - 1934年〈昭和9年〉2月26日)は、明治から昭和期の実業家。三井物産大阪支店長を務めたほか、富士製紙(現在の王子製紙)専務取締役、樺太鉄道取締役、東京金鋼、北海道電灯などの重役を歴任した[1][2]。
人物・経歴
東京へ出て、築地の立教学校(現在の立教大学)で学ぶ[3]。 24歳の時にアメリカに留学し、イェール大学を卒業した[1][2]。イェールの記録では、1897年に立教に学び、1900年よりイェールの大学院で社会科学を専攻、1901年に修士号を取得した[4]。
帰国後1902年に三井物産に入社し、1913年(大正2年)には同社大阪支店長に就任した[1]。
1915年(大正4年)に、富士製紙(現在の王子製紙)に転じて専務取締役に就任した[1]。 そのほか、東京金鋼、北海道電灯、樺太鉄道などの重役を歴任した[1]。
昭和初期には、卒業生として、阪井徳太郎、吉田栄右、濱口梧洞(10代目濱口儀兵衛)らとともに、立教学院校友会の顧問を務めたほか、1928年(昭和3年)に設立された立教学院後援会でも監事役員を務めた[5]。
1930年(昭和5年)には、イタリア王冠勲章(コンマンドール、クーロンヌ)を受章した[6]。
故郷の岡山で、5万円を寄付して高屋町育英会を設立するなど資産家であった[2]。
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親族
脚注
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