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鵲 (鴻型水雷艇)

鴻型水雷艇 ウィキペディアから

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(かささぎ)は、日本海軍水雷艇鴻型の4番艇。艦艇名としては隼型水雷艇」に続いて2代目。

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艇歴

1934年(昭和9年)11月24日、と命名され[2]、水雷艇に類別[3]1935年(昭和10年)3月4日に大阪鉄工所桜島工場で起工。同10月28日進水。1937年(昭和12年)11月15日に竣工し、横須賀鎮守府籍、第一水雷隊に編入された[4]

日中戦争では、上海海軍特別陸戦隊支援、揚子江遡行作戦に従事[1]。揚子江遡航作戦中の1938年6月24日、第一水雷隊が砲台と交戦した際に「鵲」は5cm6発を被弾した[5]。また、7月6日には触雷した[6]

太平洋戦争開戦後、香港攻略作戦、海上護衛作戦に参加[1]1943年(昭和18年)9月27日、輸送船の護衛任務中にカバエナ島インドネシア語版近海で米潜水艦ブルーフィッシュ」の雷撃により沈没[7][8]。同年12月1日に除籍。

歴代艇長

艤装員長
  • 有本輝美智 少佐:1936年10月8日[9] -
水雷艇長
  • 有本輝美智 少佐:1937年1月15日[10] - 1937年9月28日[11]
  • 有馬高泰 少佐:1937年9月28日[11] - 1938年8月1日[12]
  • 田中万喜夫 少佐:1938年8月1日[12] - 1938年12月15日[13]
  • 中川実 大尉:1938年12月15日[13] - 1940年4月24日[14]
  • 牧野坦 少佐:1940年4月24日[14] - 1940年9月27日[15]
  • (兼)東日出夫 少佐:1940年9月27日[15] - 1940年10月15日[16]
  • 井内儀三郎 大尉:1940年10月15日[17] - 1941年8月20日[18]
  • 犬塚家孝 大尉:1941年8月20日[18] -

脚注

参考文献

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