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鶴殿忠善

明治期の政治家、華族 ウィキペディアから

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鶴殿 忠善(靏殿、つるどの ただよし、 1853年6月4日(嘉永6年4月28日[1]) - 1895年明治28年)3月11日[1][2])は、明治期の政治家華族貴族院男爵議員。旧姓・九条、伊木。旧名・増縁。

経歴

山城国京都左大臣九条尚忠の五男として生まれる[1][3]万延元年(1860年)に出家して増縁と名乗り随心院門跡・増護の附弟権僧正となる[1][4][5]明治5年5月13日1872年6月18日)に還俗し九条家に復籍[1][4][5]1873年6月15日、旧岡山藩筆頭家老・伊木忠恭の養嗣子となり伊木忠善と改名[1][5][6]1888年(明治21年)12月20日、養子縁組を解消して九条家に復籍し、絶家靏殿家の再興を願い出て認められ、1889年(明治22年)12月18日に男爵を叙爵した[3][7]。なお家名の「つる」の字ははじめ「靏」、のちに「鶴」に改めている[1]

1890年(明治23年)7月10月、貴族院男爵議員に選出され、死去するまで在任した[2]

墓所

親族

脚注

参考文献

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