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鹿島とも子
日本の歌手、女優、元オウム真理教信者 ウィキペディアから
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鹿島 とも子(かしま ともこ、1950年8月23日 - )は、日本の歌手、女優。元日劇ダンシングチーム所属。母は日本人、父はアメリカ人。
来歴
東京都立川市出身。18歳の時に日劇ダンシングチームに入団。「ハレルヤベイビー」の初主演以降、芸能活動を続けてきた。
しかし、1982年にスノーモービルの事故で脊椎を損傷し[1]、芸能活動停止に追い込まれた。長期のリハビリを経て、1988年8月に芸能界に復帰するが、リハビリ生活を支えた整体師が急死し、死後の世界について考えるようになる[1]。1989年、麻原彰晃の著書でオウム真理教を知り入信する[1][2]。
オウム真理教では、オウム真理教放送でのラジオ司会など、教団の広告塔をつとめ、教団関連会社「SSA・フィットネス スーパースターアカデミー(株式会社)」で歌唱指導などにあたっていた[3]。1993年に夫と離婚、1994年7月には南青山のオウム東京総本部道場で出家会見を開いた[1]。その後、長女拉致監禁事件(後述)より1995年5月2日に逮捕される[1]。拘置中にオウム真理教を脱会し、1996年1月17日、懲役2年・執行猶予4年の判決を受けた[1]。懺悔録として『オウムの“鬼母”と呼ばれて』を出版する[1]。
判決後はホームヘルパー2級の資格を取得[1]、高齢者介護に従事し贖罪の日々を送り[1]、2002年に芸能活動を再開する[1][4]。訪問介護の仕事をしながらライブ活動をしていたが、かつて事故で脊椎を損傷した後遺症で左膝が悪化し、歩行には杖が必要な状態となっている[5]。
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鹿島とも子長女拉致監禁事件
麻原彰晃は鹿島の長女(当時19歳、非信徒)に対し、アイドルになって教団の広告塔になれと命令していたが、長女は拒んでいた[6]。
1994年11月20日、飯田エリ子と井上嘉浩は「お母さんが待っている」と言って長女を富士宮市の富士山総本部につれていった。長女はとも子らと一緒に上九一色村の第6サティアンで生活をしていたが、長女の友人の協力によって奪還され[1]、長女は11月26日に東京に逃げ帰った。とも子は飯田と井上に娘をサティアンに連れ帰るように要請した。そこで12月5日、飯田と林郁夫が長女宅を訪問して出家を勧めたものの断られたため、特別なジュースと偽って睡眠薬入りジュース[注釈 1]を飲ませ、眠り込んだ長女にチオペンタールナトリウムを注射し、控えていた井上と共にサティアンへ再び拉致した。その後、林は拉致された記憶を消すため、長女に対してニューナルコ(電気ショック)とチオペンタールナトリウム投与を行った。
長女は再びサティアンでとも子と生活していたが、友人や父親が協力し[1]、1995年1月23日に友人の車によって救出された[7][8][9]。
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著書
- 『車椅子からの旅立ち』(鎌倉書房、1989年)ISBN 978-4308004632
- 『出家の真相 鹿島とも子・告白手記』(オウム出版、1994年)ISBN 978-4871420976
- 『オウムの“鬼母”と呼ばれて』(近代映画社、1996年)ISBN 978-4764817883
出演
テレビドラマ
ドキュメンタリー
ディスコグラフィ
シングル
アルバム
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脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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