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黄弼周

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黄 弼周(ファン・ピルチュ、朝鮮語: 황필주1924年10月21日 - 1998年6月26日)は、大韓民国軍人実業家。最終階級は陸軍少将本貫長水黄氏[1]

概要 黄 弼周 황필주, 生誕 ...

経歴

1947年に警備士官学校3期生で卒業[2]後、主に軍需方面で軍歴を重ねた。朝鮮戦争開戦時は第6師団(長:金鍾五大領)軍需参謀(少領)。朴正煕クーデター計画が露見した際、一時的にかくまったことがあったとされる[3]。予備役編入後、多額の債権を抱えていたいわゆる「不実企業」の一つであった大成木材工業社長に発令され、経営の立て直しをはかる。ただし、政界とのパイプ役以上の役割はないと評された[4]。日本の外務省が韓国の民間団体に委託した報告書によれば、政治的圧力で多額の融資を要求し、従わない銀行長を辞任に追いやったため、「銀行長殺しの大成木材」と評されたという[5]

同社会長退任後は大韓火災社長。

年譜

  • 1947年4月19日:警備士官学校卒業(3期生
  • 1950年:第6師団軍需参謀
  • 1956年:陸軍大学
  • 1958年:陸軍調達監
  • 1960年:陸軍軍需基地司令部参謀長
  • 1962年:少将、第25師団長
  • 1963年4月:軍需参謀部次長
  • 1965年3月:第6軍管区司令官
  • 1966年1月:陸軍本部人事参謀部副長
  • 1968年2月:第1軍副司令官
  • 1969年9月30日:予備役編入、大成木材社長
  • 1973年大成木材会長、大成メタノール社長
  • 1979年大韓火災社長
  • その後大韓火災海上保険副会長[6]
  • 1984年汎韓無電会長[6]

栄典

脚注

参考文献

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