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黒田道珍

明治期の政治家 ウィキペディアから

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4代 黒田 道珍(黑田、くろだ どうちん、1853年4月25日(嘉永6年3月18日[1][注釈 1])- 1904年明治37年)9月6日[2][3][注釈 2])は、明治期の政治家衆議院議員福井県今立郡岡本村長。幼名・良哉[1][4]

経歴

越前国今立郡定友村[1]石川県今立郡定友村、福井県[2]今立郡定友村[4]岡本村[3]定友[1]今立町[4]定友[1]を経て現越前市定友町)で、漢方医・3代黒田道珍の息子として生まれた[1]。吉田宗琢に師事し西洋医学を修め[2][3]、4代道珍を襲名した[1]

自由民権運動に加わる[1][4]杉田定一を助け地租軽減、国会開設を目指して活動した[1]。地方衛生会員、所得税調査委員、岡本村会議員、同村長、今立郡会議員、福井商法会議所議員、日本赤十字社正社員などを務めた[1][2][3]

1885年(明治18年)11月、福井県会議員に選出され1888年(明治21年)12月まで在任[1][2][3][4]。この間、教育の振興、桑苗栽培の奨励、道路整備などに尽力した[1][4]。1889年(明治22年)杉田定一の南越倶楽部に加わり今立郡委員に就任した[1][4]

1894年(明治27年)3月、第3回衆議院議員総選挙(福井県第3区、無所属)で当選し[1][4][5]、衆議院議員に1期在任した[2][3]。同年9月の第4回総選挙(福井県第3区、自由党)では次点で落選した[4][6]

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脚注

参考文献

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