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1872年アメリカ合衆国大統領選挙
第22回目のアメリカ合衆国大統領選挙 ウィキペディアから
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1872年アメリカ合衆国大統領選挙(1872ねんアメリカがっしゅうこくだいとうりょうせんきょ、英語: United States presidential election, 1872)は、1872年11月5日に行われたアメリカ合衆国大統領選挙(第22回)。共和党の内部分裂にも拘わらず、現職の大統領で急進派共和党指導者ユリシーズ・グラントがマサチューセッツ州選出のアメリカ合衆国上院議員ヘンリー・ウィルソンと共に容易に2期目に選ばれた。共和党の内部分裂は対抗馬のホレス・グリーリーに多くの進歩的共和党員が流れる結果になった。
1872年11月29日、一般投票は終わっていたがまだ選挙人投票が終わっていない時に、グリーリーが死んだ。その結果、グリーリーに投票するはずであった選挙人は、4人の大統領候補および8人の副大統領候補に投票することになった。グリーリー自身も死後の選挙人票3票を得たが、これらの票はアメリカ合衆国議会が認めなかった。
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候補者の指名
要約
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共和党の指名
共和党の指名集会では752人の代議員が全会一致でグラント大統領の2期目の指名を決めた。しかし、現職副大統領のコルファクスは322票を獲得したものの、ウィルソン上院議員が400票を集め、再指名はならなかった。
共和党の功績によってうたわれた綱領
アメリカ合衆国共和党は、1872年6月5日と6日に、フィラデルフィア市で全国集会を開催し、再度その誠実さを宣言し、その歴史に対して訴え、およびこの国の抱えている問題に対する態度を表明する。 第1項。アメリカ合衆国議会を支配した11年間、時代の厳粛な義務を大きな勇気と共に受け入れてきた。巨大な反乱を鎮定し、400万人の奴隷を解放し、あらゆる市民の平等を宣言し、また普通選挙を打ち立てた。比類のない寛大さを示し、政治的な攻撃に対しては何者も刑事罰に処せず、また法に従い隣人を公正に扱う全ての者を暖かく迎えた。大戦によってもたらされた無秩序をしっかりとした対応で着実に落ち着かせ、インディアンに対して賢明で人間的な政策を始めた。大陸横断鉄道など大きな事業が広い心で支援され、成功に導かれた。公的な土地が実際の開拓者に無償で与えられた。移民が保護され奨励され、また帰化した市民のヨーロッパ列強で確保されていた権利を全て認めた。国の通貨は統一され、債務の履行拒絶は行われず、国の信用は最も異常な重荷の下で維持され、また新しい債券は低い利率で交渉された。歳入は注意深く集められ正直に利用された。毎年税率が下がっているにも拘わらず、国債はグラント将軍の大統領任期中に1年に100万の単位で減り続け、大きな財政危機は回避され、また平和と豊かさが国中に行き渡った。外交上の困難さは平和的にまた名誉を持って落ち着き、国の栄誉と力は世界中に高い尊敬を保ってきた。この栄光有る過去の記録は未来に対する党の最良の誓約である。我々は、この恩恵有る過程の如何なる階梯にも抵抗した者からなる党派あるいは人の組み合わせに、人民がその政府を委ねることはないと信じる。
進歩的共和党の指名
共和党反体制派の影響力有る集団が党を離れ、進歩的共和党を結党した。この党の唯一の全国党員集会はシンシナティで開催され、「ニューヨーク・トリビューン」の編集者ホレス・グリーリーが、6回目の投票でチャールズ・フランシス・アダムズを破り、大統領候補者に指名された。ミズーリ州知事ベンジャミン・グラッツ・ブラウンが2回目の投票で副大統領候補に指名された。進歩的共和党の綱領は、南北戦争とレコンストラクションの憎しみを終わらせ(第2章と第3章)、汚職を防止するために公務員改革を要求し(第5章)、また関税問題を防ぐこと(第6章)だった。
我々、アメリカ合衆国進歩的民主党は、シンシナティにおける全国党員集会で、まさに政府に基本的なものとして以下の原則を宣言する。
- 第1章:我々は法律の前にあらゆる人の平等を認識し、民族、人種、肌の色、あるいは信教または政治の信条に拠らずあらゆる者に平等と正確な公平さを分け与えるために人民と対するのが政府の義務であると信じる。
- 第2章:我々はこの国の団結、奴隷の解放、公民権の付与を維持することと、またアメリカ合衆国憲法修正第13条、第14条、および第15条で収められた問題を再開するものに反対することを自ら誓う。
- 第3章:我々は、最終的に7年前に征服された反逆者という理由で課されるあらゆる権利制限を即刻絶対的に取り去ることを要求する。普遍的に許し合うことがこの国のあらゆる地域の完全な和平に結実するものと信じる。
- 第4章:地方自治政府は、偏らない選挙権付与によって、如何なる中央集権化された力よりも確実に全ての人民の権利を守ることになる。公共の福祉は軍事的権威よりも文民が優越することを要求し、人身保護令状の下での人民の自由を要求する。我々は個々人に公的な秩序に従った最大の自由を要求する。州、自治政府および国には、平和の手段に対する報酬と憲法に規定される権力の制限を要求する。
- 第5章:政府の公務員は単に党派的専政の道具、個人的な望みおよび利己的欲望の対象となってきた。それは自由な制度の上の醜聞であり恥辱であり、共和制の永続を脅かす士気喪失を育んでいる。それ故に我々は公務員の完全な改革を最も喫緊の課題と見なす。正直、能力および忠誠が公職に要求される唯一有効なものとなる。政府の役職は後援組織の問題であることを止め、公職は再び栄誉ある地位になることを要求する。この目的のために、いかなる大統領も再選されてはならないと威厳を持って要求する。
- 第6章:我々は連邦の税制が不必要に人民の産業に干渉しないことを要求し、政府が経済的に管理した年金、公債の利子費用を払うために必要な手段を備え、またそれらの元本を毎年すこしずつ減らしていくことを要求する。また、我々の心に正直さがあるが、自由貿易の保護の仕組みについては相容れない意見の違いが有ることを認識し、我々は議会選挙区の人々にこの問題の討議を付託し、行政官の干渉や指図の全くない状況で、それらに基づく議会での採決に付託する。
- 第7章:大衆の信頼は厳粛に維持されねばならず、如何なる形、見せかけにおいても債務の履行拒否を非難する。
- 第8章:商業道徳と正直な政府を高度に考慮することにより正貨支払に対する速やかな復帰を要求する。
- 第9章:我々は共和国の兵士と水兵の英雄的姿と犠牲を感謝の念で記憶する。また我々の如何なる行動も彼らの愛国心の公正に得た名声あるいは完全な報酬を減ずるべきではないと記憶する。
- 第10章:我々は今後鉄道あるいは他の会社に対するあらゆる土地の付与に反対する。公有地は実際の開拓者に対して聖域とされるべきである。
- 第11章:我々は諸外国と付き合い、平和的な関係を培うことが政府の義務であると信じる。全ての国を公正にまた平等な条件で扱い、正しくないことを要求したり、不正に屈服することは恥辱と見なす。
- 第12章:これら重大な原則の促進と成就のために、またこの集会で指名される候補者への支持を得るために、われわれは過去の経歴に関係なくあらゆる愛国者市民の協力を奨励し心より歓迎する。
民主党の指名
民主党もグリーリーとブラウンの組み合わせを指名した[2]。グリーリーは724人の代議員のうち686票を獲得し、ブラウンも713票を得た。進歩的共和党の綱領を受け入れることは、民主党が新機軸を受け入れ、1868年の反レコンストラクション綱領を拒否したことを意味した。党員は前方を見据え、南北戦争を再度起こさないようにすれば勝てると認識した[3]。また、グリーリー以外の候補者を指名すれば、反グラント票を分けてしまうだけだと認識した。しかし、グリーリーは長い間民主党を最も挑戦的に攻撃する者という評判があり、その原理、その指導力およびその活動力が候補者に対する熱意を冷ました。集会は2日間でわずか9時間続いただけであり、歴史上主要政党の党員集会としては最も短いものとなった。
その他の指名
ビクトリア・ウッドハルがアメリカ合衆国史上初めての女性大統領候補となり、平等権党の公認で出馬した。その副大統領候補は有名な奴隷制度廃止論者で元奴隷であるフレデリック・ダグラスだった。ウッドハルは就任式の日に大統領になるには不適格とされた。これは憲法や法律もこの点では何も言っていないように、女性であるからではなく、憲法に規定する最低年齢の35歳に1873年9月23日までは達していないことが理由だった。ウッドハルとダグラスは下記「選挙結果」に乗っていない。2人の組み合わせで、一般投票の結果は無視できるほど少なく、選挙人票はゼロであった。
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一般選挙
要約
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選挙運動
グラント陣営とその急進的支持者は広く政治腐敗を告発し、進歩的共和党は公務員改革と南部からの連邦軍撤退を含みレコンストラクション過程の終結を要求した。進歩的共和党も民主党もその候補者のグリーリーについては失望した。笑い話に何故愚か者と入れ替えるだけのために信用のできない人間を出すのかといわれた[4]。政治的な経験のほとんどないまずい選挙運動員と共に、グリーリーの新聞編集者としての経歴は、その対抗馬にとってその長い風変わりな公職履歴を攻撃材料にさせた。グラントは南北戦争の勝利の記憶が残ってもおり、難攻不落であった。さらに、グリーリーの相棒ブラウンが飲酒癖のために幾つかの失言を犯した。例えば、あるキャンペーン・ピクニックの時に、飲み過ぎてスイカにバターを塗ろうとした。
女性の参政権
この選挙は、1869年に全国婦人参政権協会とアメリカ婦人参政権協会が設立されてから初めてのものであった。それに対して、婦人参政権に対する反対運動がより拡がっていた。上述のビクトリア・ウッドハルが大統領候補に指名されたことに加えて、何人かの婦人参政権運動家が選挙で投票しようとした。スーザン・B・アンソニーは投票を試みた廉で逮捕され100ドルを科料された。ウッドハル自身は猥褻の廉で選挙日には刑務所にいた。
結果および投票に関する論争
一般投票の結果、グラントは56%対44%という差で容易にグリーリーに対し勝利した。選挙人投票ではグラントが286票を獲得し、グリーリーには66票が行くはずだったが、一般選挙から24日後、選挙人投票の前にあたる1872年11月29日にグリーリーが死に、グリーリーが獲得した6州(テキサス州、ミズーリ州、ケンタッキー州、テネシー州、ジョージア州およびメリーランド州)の選挙人の大半は他の民主党員に投票した。
1873年2月12日、選挙人投票の集計を行う上下院合同会議の席で、選挙の結果について下記のような多くの異議が提起された。しかし1876年アメリカ合衆国大統領選挙でなされた異議とは異なり、これらの異議は選挙結果に何の影響も与えなかった[5]。
結果
- (a) これらの候補者はホレス・グリーリーに投票するはずだった選挙人の票を得た。
- (b) ホレス・グリーリーは選挙人票3票を得たが、失格とされた。
- (c) 下記「#組み合わせによる結果」を参照
州ごとの結果
出典: Walter Dean Burnham, Presidential ballots, 1836–1892 (Johns Hopkins University Press, 1955) pp 247–57.[6]
グラント/ウィルソンが勝利した州 |
グリーリー/ブラウンが勝利した州 |
接戦だった州
赤字は共和党、青字は自由共和党が勝利したことを示す。
得票率差5%未満 (選挙人数51)
- メリーランド州 0.69%
- バージニア州 0.98%
- デラウェア州 4.23%
- テネシー州 4.32%
- アーカンソー州 4.35%
- ウェストバージニア州 4.46%
- コネチカット州 4.81%
得票率差5%以上10%未満 (選挙人数133):
- ケンタッキー州 5.87%
- アラバマ州 6.38%
- インディアナ州 6.41%
- ニューヨーク州 6.46%
- フロリダ州 7.04%
- オハイオ州 7.09%
- ニューハンプシャー州 8.33%
- ニュージャージー州 9.04%
- ウィスコンシン州 9.16%
- ジョージア州 9.94%
組み合わせによる結果
- (a) ウィキペディアの調査ではミズーリ州の4人の選挙人票における組み合わせをまだ十分に決定できていない。よって、可能性のある組み合わせについては最大値と最小値を示した。
- (b) グリーリーは失格となったが、ブラウンの副大統領票は集計された。
出典: “Electoral College Box Scores 1789–1996”. アメリカ国立公文書記録管理局. 2005年7月31日閲覧.
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脚注
参考文献
外部リンク
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