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禁酒党
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禁酒党(きんしゅとう。英語:Prohibition Party、PRO)は、アメリカの政党である。禁酒主義に基づき、アルコール飲料の販売や消費に反対する事が主な政治思想である。現存するアメリカの第三党の中では最も古い政党であり、禁酒運動の中心的存在であった。アメリカの主要政党になることは無かったが、19世紀後半には共和党の票を奪い、第三政党制における重要勢力だったこともある。1933年の禁酒法廃止後は急速に衰退した。
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歴史
要約
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禁酒党は1869年に設立され、ミシガン州のジョン・ラッセルが初代全国委員長に就いた[1]。その後、賛同者を増やし、各地の多くの郡で酒の製造および販売を禁止することに成功した。
同時に、そのイデオロギーは進歩主義的な見地にまで拡大した。1910年代には少数党ながら、カリフォルニア州第9選挙区選出下院議員・チャールズ・ランダルを、第64回、第65回、第66回議会に送り込んだ。フロリダ州の民主党員、シドニー・カッツは、1916年のフロリダ州知事選で民主党の予備選挙に負けた後、禁酒党から立候補して当選した(ただし、民主党員のままであった)。
禁酒党の最盛期は、酒の製造・販売・輸送・輸出入を禁止するアメリカ合衆国憲法修正第18条が1919年に可決されて以降のいわゆる「禁酒法時代」であった。
禁酒法時代、党は法の厳格な執行を求めた。例えば1928年アメリカ合衆国大統領選挙において、自党の候補者を立てずに共和党のハーバート・フーヴァーを支持することを検討したが、全国最高委員会は、4対3の投票結果で、自党のウィリアム・バーニーの候補者指名を決定した。これはフーヴァーの禁酒に対する姿勢が十分でないと感じていたからであった[2]。禁酒党はフーヴァーが大統領に当選した後、より彼に批判的になった。1932年の選挙では、党委員長のデヴィッド・リー・コルヴィンが、「共和党の(禁酒法の廃止を支援する)ウエット[3]な要綱は、フーヴァー氏がベネディクト・アーノルド以後、最大の裏切り者であることを示している」と声を張り上げた[4]。フーヴァーは落選したものの、進歩主義のルーズヴェルトにより、1933年にアメリカ合衆国憲法修正第21条が可決され、禁酒法は廃止された。
衰退
党は禁酒法の廃止以降急速に勢力を失い、第二次世界大戦後はほぼ無名の存在となった。1977年に党名を「全国政治家党(National Statesman Party)」に改名した際、『タイム』は「党名変更しても風変わりな政治思想から脱却することは疑わしい」と示唆した[5]。その後、1980年に元の党名に戻している。
それでも禁酒党は毎回大統領選挙の候補者を立てたが、得票数は回を重ねるごとに減少した。10万票を超えたのは1948年の選挙が最後であり、1万票を超えたのも1976年が最後である。2012年の選挙では僅か519票しか獲得することができなかった。
2003年の分裂
禁酒党は2003年に分裂した。前大統領候補のアール・ドッジが、コロラド州に全国禁酒党というライバル政党を設立し、ドッジは2003年8月に自宅の居間で指名委員会を8名で開催し、ライバル政党の大統領候補に指名された[6][7]。
一方、ドッジのライバルたちは、2004年2月に、ジーン・アモンドソンを大統領候補に指名した。ドッジ派もアモンドソン派も、相手方の正統性を認めなかった。アモンドソンはルイジアナ州で禁酒党として立候補した。ドッジはコロラド州で禁酒党として立候補したが、アモンドソンは、同州で国民不安党(Concerns of People Party)の支持を受けドッジに対抗した[8]。アモンドソンが全国で1944票を獲得したのに対し、ドッジは140票しか獲得できなかった。
2007年12月にドッジが死んだとき、ドッジ派は大統領候補者が決まっていなかった[9]。2008年春、ドッジ派はアモンドソンを大統領候補に指名したが、副大統領候補には、自派閥のハワード・リディックを指名した[10]。
また、この2つの派閥は、1930年にジョージ・ペノックが禁酒党に寄付した金(毎年約8000ドルが支払われることになっている[11])を巡って争っている[12]。
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選挙結果
要約
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大統領選挙
禁酒党は、1872年以来、毎回大統領候補を立てており、民主党と共和党に次ぐ最も歴史のあるアメリカの政党である。
当選した人物

- シドニー・カッツ – フロリダ州知事(1917–1921)
- チャールズ・ハイラム・ランダル – カリフォルニア州下院議員(1911–12)およびアメリカ合衆国下院議員(カリフォルニア州第9選挙区)(1915–21)
- スザンナ・ソルター – カンザス州アーゴニア市長(1887): アメリカ合衆国最初の女性市長
- ジェイムズ・ヘッジ – ペンシルベニア州トンプソン郡区の租税査定人 (2002–2007)[13]。21世紀で唯一、禁酒党から公職に就いた人物。
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関連項目
脚注
参考文献
外部リンク
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