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1950年のロードレース世界選手権

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1950年のロードレース世界選手権は、FIMロードレース世界選手権の第2回大会である。6月にマン島TTレースで開幕し、イタリアモンツァで開催される最終戦まで全6戦で争われた。

1950年の
FIMロードレース世界選手権
前年: 1949 翌年: 1951

シーズン概要

要約
視点

前年と同じく全6戦で選手権シリーズが開催されたがポイントシステムは若干変更され、6位までポイントが与えられるようになったが、ファステストラップに対するポイントはなくなった[1]

前年は戦前からの旧態依然としたマシンで臨み、全くいいところがなかったノートンだったが、この年は「フェザーベッド」と呼ばれる革新的な新型フレームのマシンをデビューさせ、開幕戦のマン島では500ccと350ccの両クラスで表彰台を独占する快挙を成し遂げた[2]

500ccクラス

ノートンの新型マシン、ノートン・マンクスと新たなファクトリーライダーであるジェフ・デュークの組み合わせは高いパフォーマンスを発揮した。マン島ではレースレコードとラップレコードの両方でニューレコードを叩き出して優勝し、その後もアルスターイタリアで勝利を飾って最多のシーズン3勝を挙げた[2]

対するイタリアのジレラは主に費用の問題でマン島にはファクトリーチームを送らなかったが、前年に125ccクラスランキング3位のウンベルト・マセッティを500ccのライダーに抜擢して第2戦ベルギーGPから巻き返しを図った[2]。マセッティは優勝回数こそ2勝とデュークに後れを取ったものの2位が2回とコンスタントに速さを発揮し、最終戦イタリアでデュークに次ぐ2位でゴールして1ポイント差でタイトルを決めた[3][4]

前年のチャンピオンであるレスリー・グラハムスイスGPで勝利を挙げたが、この時はレース序盤に転倒しながらの優勝だった。グラハムはこのGPでは350ccクラスでも優勝しており、グランプリ初の350 / 500ccクラスダブル優勝だった[3]

350ccクラス

前年に全勝でタイトルを獲得したフレディー・フリースが引退したためチャンピオン不在となった350ccクラスは、ノートンのアーティ・ベルが開幕戦のマン島で優勝し、続くベルギーでも2位に入る順調な滑り出しを見せた。しかしベルギーで350ccに続いて出場した500ccクラスのレースでクラッシュし、この時の怪我によって選手生命を絶たれてしまった[3]

フリースに代わってベロセットのエースとなったボブ・フォースターはベルギーで優勝すると続くオランダでも連勝、アルスターGPで3勝目を挙げてベロセットのタイトルを防衛すると同時に自身初のタイトルを決めた[5]

250ccクラス

250ccクラスは先進のDOHCエンジンを投入したベネリと、信頼性に優れるSOHCエンジンのモト・グッツィというイタリアメーカー同士の争いとなった。タイトルは3勝を挙げたベネリのダリオ・アンブロジーニのものとなり、モト・グッツィは新型エンジンの開発のためにシーズン終盤にはワークス活動を休止した[2][6]

125ccクラス

125ccクラスの開幕戦となったダッチTTは、10分の1秒差という接戦をモンディアルブルーノ・ルフォが制した。第2戦のアルスターGPは決勝に出場したのが3台、完走は優勝したカルロ・ウビアリとルフォの2台だけというレースだった[3]。第3戦のイタリアジャンニ・レオーニが優勝し、ルフォ、ウビアリ、レオーニの3人が優勝と2位がそれぞれ1度ずつというポイント争いをイタリアで4位に入ったルフォが制してタイトルを獲得した[7]

前年の250ccクラスチャンピオンであるルフォは、グランプリで初めて2クラスのタイトルを獲得したライダーとなった。

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グランプリ

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最終成績

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  • 350・500ccクラスは上位入賞した4戦分のポイントが有効とされた。
  • 凡例

500ccクラス順位

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350ccクラス順位

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250ccクラス順位

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125ccクラス順位

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脚注

参考文献

外部リンク

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