トップQs
タイムライン
チャット
視点

1956年アルゼンチングランプリ

ウィキペディアから

1956年アルゼンチングランプリ
Remove ads

1956年アルゼンチングランプリ (1956 Argentine Grand Prix) は、1956年のF1世界選手権第1戦(開幕戦)として、1956年1月22日ブエノスアイレス・サーキットで開催された。

概要 レース詳細, 日程 ...
Remove ads

レース概要

メルセデス前年をもって撤退したため、ファン・マヌエル・ファンジオフェラーリへ、スターリング・モスマセラティへそれぞれ移籍した。フェラーリはエースのファンジオの他、エウジェニオ・カステロッティルイジ・ムッソのイタリアの若手2人とイギリス人のピーター・コリンズが抜擢された[1]。マシンは前年にランチアから譲渡されたD50を改造した「ランチア・フェラーリ D50」が主力となった。当レースのグリッドは全てイタリアのマシン(フェラーリとマセラティ)が占めることになった。フェラーリとマセラティは5台をエントリーさせた。残りの3台はマセラティのプライベーター2チームで、オーウェン・レーシング・オーガニゼーション(BRM)マイク・ホーソーンを起用した。

予選はフェラーリ勢が上位3位までを占め、ポールポジションを獲得したファンジオは2位のカステロッティに2.2秒の差を付けた。しかし、決勝のスタートではマセラティのカルロス・メンディテギーとモスがリードし、ファンジオは燃料ポンプのトラブルでリタイアとなってしまった。ファンジオは29周目にムッソと交代して再び5位に上がりジャン・ベーラをパスするが、スピンを喫してベーラに抜かれてしまった。40周目から43周目にかけて上位陣にトラブルが発生する。3位カステロッティのギアボックスが壊れ、メンディテギーはドライブシャフトが破損、首位モスのエンジンからは白煙が吹き出し始めた。再びベーラを抜いたファンジオは66周目に手負いのモスをパスしてトップに立ち、3年連続で母国レースを制した。マセラティのチームマネージャーは、ファンジオがスピンした際に押しがけスタートしたと抗議したが、スチュワードとFIAによって却下された。

Remove ads

エントリーリスト

さらに見る No., ドライバー ...
追記
  • ^1 - 交代要員としてエントリーしたが出走せず
  • ^2 - 交代要員としてエントリー
  • ^3 - エントリーしたが出走せず
Remove ads

結果

予選

さらに見る 順位, No. ...

決勝

さらに見る 順位, No. ...
追記

注記

  • 車両共有:
    • 34号車: ルイジ・ムッソ(30周)、ファン・マヌエル・ファンジオ(68周)。優勝したため、2人に4点が与えられた。
    • 10号車: チコ・ランディ(46周)、ジェリーノ・ジェリーニ(46周)。4位に入賞したため、2人に112点が与えられた。
    • 16号車: アルベルト・ウリア(44周)、オスカル・ゴンザレス(44周)
  • F1デビュー戦: オリビエ・ジャンドビアンジェリーノ・ジェリーニオスカル・ゴンザレス(オスカル・ゴンザレスは当レースのみの出走)
  • F1最終出走: チコ・ランディアルベルト・ウリア
  • F1初優勝: ルイジ・ムッソ
  • F1初入賞: チコ・ランディジェリーノ・ジェリーニ(ともに4位)、(オリビエ・ジャンドビアン(5位)

第1戦終了時点のランキング

ドライバーズ・チャンピオンシップ
さらに見る 順位, ドライバー ...
  • : トップ5のみ表示。ベスト5戦のみがカウントされる。

脚注

参照文献

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads