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ルイジ・ムッソ
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ルイジ・ムッソ(Luigi Musso、1924年11月28日 - 1958年7月6日)は、イタリア出身のレーシングドライバー。ルイージ・ムッソと表記されることもある。
人物紹介
ローマで外交官の息子として生まれ、1950年よりレース活動を開始。当初はスポーツカーレースのみに参戦していたが、1953年に最終戦イタリアGPにて、マセラティからF1にデビューした。
1954年は3戦のみのエントリーだったが、最終戦スペインGPでは2位に入賞し、ノンタイトル戦として行われたコッパ・アチェルボで優勝。1955年も3位表彰台を含め2度の入賞を記録した。
1956年よりフェラーリに移籍し、開幕戦アルゼンチンGPで初優勝を達成[1]。しかし、ニュルブルクリンクで行われたスポーツカーレースでの事故により、シーズンの約半数を欠場する羽目になった。
1957年はフェラーリ全体で見れば、選手権創設初年度の1950年以来の未勝利という苦しいシーズンだった。しかし、ムッソは2位2回・4位1回、第4戦フランスGPでの初ファステストラップ獲得などで、ランキング3位を獲得。マイク・ホーソーンやピーター・コリンズを抑え、チームトップの成績を収めた。
1958年
1958年は開幕戦アルゼンチンGP・第2戦モナコGPと連続で2位に入り、モナコGP終了時にはランキングトップに位置していた。その後の2戦[2]でポイントを獲得出来ず首位の座は失ったものの、スターリング・モス、ホーソンに続くランキング3位の状態で、第6戦フランスGPを迎えた。
予選はホーソンがポールポジション(PP)、ムッソが2番手グリッドとなり、決勝でも肉薄しつつそのままの順位でレースが進んだ。ホーソンの前に出るべくスピードを上げていたムッソだが、10周目にカーブで曲がりきれずクラッシュ。マシンは何度も横転しながら大破し、自身は即死。1954年第6戦ドイツGP予選時のオノフレ・マリモンに続き、F1では2例目の事故死者だった。
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エピソード
- 初の女性F1ドライバー・マリア・テレーザ・デ・フィリッピスとは恋人関係にあった。1958年第5戦ベルギーGPでは、2人揃って決勝を走行している。
レース戦績
F1
ル・マン24時間レース
注釈
関連項目
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