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1956年モナコグランプリ
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1956年モナコグランプリ (1956 Monaco Grand Prix) は、1956年のF1世界選手権第2戦として、1956年5月13日にモンテカルロ市街地コースで開催された。
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レース概要
アルフレッド・オーウェン卿がオーナーとなったBRMは、当レースからオリジナルマシンP25を投入して1951年以来5年ぶりにF1へ復帰したが、予選で2台ともエンジンのバルブに異常が発生したため、決勝の出走は見合わせた。この他、ジョルジオ・スカルラッティが予選不通過、ルイ・シロンは予選でエンジンブローを起こしたため決勝に出走できなかった。
予選2位のスターリング・モスが序盤からリードし、周回ごとに後続を引き離していく。ファン・マヌエル・ファンジオにとっては不運な一日だった。2周目に藁束へヒットしてしまい、ハリー・シェルとルイジ・ムッソはファンジオを避けようとしてリタイアとなる。32周目には後輪を港寄りの壁にヒットしてしまう。ファンジオはホイールを修理するためピットインしてエウジェニオ・カステロッティにマシンを譲った。54周目にピーター・コリンズがピットインしてファンジオにマシンを譲る。ファンジオは70周目にジャン・ベーラを抜いたが、首位のモスとは47秒の差が付いていた。86周目にチェーザレ・ペルディーサのブレーキがロックしてモスのボンネットと接触してしまい、ファンジオは1周2秒ずつ差を縮めていったが、モスが6秒差で逃げ切り優勝した。
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エントリーリスト
- 追記
- ^1 - 交代要員としてエントリー
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結果
予選
- 追記
- 上位16台が決勝進出
決勝
- 追記
注記
- 車両共有:
- 26号車: ピーター・コリンズ(54周)、ファン・マヌエル・ファンジオ(46周)。2位に入賞したため、2人に3点が与えられた(ファンジオはファステストラップを記録したため、さらに1点が与えられた)。
- 20号車: ファン・マヌエル・ファンジオ(40周)、エウジェニオ・カステロッティ(54周)。4位に入賞したが、ファンジオは2位にも入賞しているためポイントは与えられず、カステロッティのみ1.5点が与えられた。
- 4号車: エリー・バイヨル(44周)、アンドレ・ピレット(44周)
- F1デビュー戦: トニー・ブルックス、ジョルジオ・スカルラッティ - ただし両者とも決勝には出走しなかった。
- F1最終出走: エリー・バイヨル
- F1キャリア初:
- ピーター・コリンズ - 初ポイント及び初表彰台
- ヘルナンド・ダ・シルバ・ラモス - 初ポイント
- F1では初めて2人のイギリス人ドライバー(優勝したスターリング・モスと2位のピーター・コリンズ)が表彰台を獲得した。
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第2戦終了時点のランキング
- ドライバーズ・チャンピオンシップ
- 注: トップ5のみ表示。ベスト5戦のみがカウントされる。
脚注
参照文献
外部リンク
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